2017-08

2015・6・29(月)オレグ・カエターニ指揮東京都交響楽団

     東京文化会館大ホール  7時

 1956年生れ、名指揮者イーゴリ・マルケヴィッチの子息━━と言われてみると、その風貌も何となく父君に似ているような、似ていないような。母方の姓を名乗っているとのことだ。

 都響には2009年以来、これが3度目の客演で、かなり評判もいいようだが、私はどういうわけかこれまで聴く機会を逸してばかりいた。今回も彼の得意のショスタコーヴィチの交響曲から、「第11番《1905年》」が取り上げられている。コンサートマスターは矢部達哉。

 カエターニの指揮、父に似て、すこぶる歯切れのいいリズムで、鋭角的なデュナーミクに富む音楽をつくる。一斉射撃の惨劇の描写場面における打楽器群の怒号と、静寂場面における最弱音の対比は強烈で、起伏の鋭い演奏が形づくられていた。
 ただ、第1楽章ではその起伏が少し脈絡に不足していたか・・・・いろいろな場面が断片的に現われては消え、という印象もなくはなかったが、第2楽章以降ではオーケストラとの呼吸も見事に合って行ったようである。

 今日は2階席正面で聴いたのだが、ここは、ステージ最後方の鐘や太鼓の打物陣(?)の音量が異様に大きく聞こえる。オケ全体のバランスを狂わせてしまう。4階席正面で聴いていた知人は、均整の取れたアンサンブルだったと言っていたし、多分そのように聞こえた席の方が多かったかもしれない。

 終楽章の終り近く、哀しい旋律がイングリッシュ・ホルンで静かに吹かれ、それが次第に上昇して行く個所も悪くはなかったが、かつて都響がデプリーストの指揮で演奏した時の、あたかも安息を求めて彷徨い続けるかのような、涙の出るような美しい表情を思い出すと、今一つ荒っぽかったような気もする。

 なお、この日は、前半にブリテンの「ロシアの葬送」(金管と打楽器による編成)、タンスマンの「フレスコバルディの主題による変奏曲」(弦楽合奏)という、大変珍しい作品が演奏された。
 特に「ロシアの葬送」は、その主題にショスタコーヴィチの「第11番」第3楽章に出て来る同じ「同志は倒れぬ」という革命歌を引用しているだけに、プログラミングにおける工夫を感じさせて、意義深いものがあった。

 ついでながらこの「同志は倒れぬ(斃れぬ)」という曲、合唱などで聴くとすこぶる感動的だが、早坂文雄が映画「七人の侍」で使った葬送の音楽━━「同志」の侍のひとり、平八(千秋実)の弔いの場面で流れるあのフシである━━も、もしかしたらこれをモデルにしていたのではないか、などと考えたりする。ちなみに、あの映画の音楽を演奏していたのは関西交響楽団(つまり今の大阪フィル)だったそうな。

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