2017-11

2015・6・16(火)読響アンサンブル・シリーズ 川瀬賢太郎指揮

     よみうり大手町ホール  7時30分

 池袋から大手町までは、地下鉄丸ノ内線でわずか15分足らず。ただし、両駅とも地下の連絡通路を相当の距離を歩かなくてはならず、これで結構時間を要する。

 先頃、渡邉暁雄音楽基金賞音楽賞を受賞した川瀬賢太郎が読響(コンサートマスター:小森谷巧)に客演、モーツァルトに挑む。「フィガロの結婚」序曲、「ヴァイオリン協奏曲第3番」(ソリストはアレクサンダー・シトコヴェツキー)、「ジュピター交響曲」というプログラムで、1時間半のコンサートだ。

 マエストロ川瀬は、プレトークで、なかなかいい話をしていた。
 「フィガロの結婚」序曲について、冒頭がピアニッシモで開始されることを指摘、オペラの中では登場人物が何か秘密の相談をしている個所でやはり最弱音が使われることとの関連から、序曲の最初も「ひそひそ声で何かを企むように」演奏したいということを語っていた。なるほど、面白い解釈である。

 ただ、実際の演奏ではあまり「ひそひそ声の」ピアニッシモには感じられなかったが、これはこのホールが小ぶりで、全ての音がリアルに聞こえる所為もあるだろう。そのあと音楽が木管のピアノになり、次いで全管弦楽がフォルティッシモで爆発する━━という一連のデュナーミクの変化を体験すると、相対的に、冒頭は確かにピアニッシモであったことに気がつくというわけである。

 その最強音をはじめ、序曲と交響曲の強音の個所では、ティンパニは硬い音で強打され、非常にアクセントの鋭い、パンチの効いたメリハリの強い響きで演奏された。音楽には激しさと活気が生じ、強い意志力さえも感じさせた。若い指揮者のアプローチとしては、極めて好ましいといえよう。「川瀬のモーツァルト」はこういうものなのか、と思わせる。

 だが、それ自体はいいのだが、こういうタイプの音づくりは、もう少し大きな、よく響くホールでの演奏でないと、その真価を見誤らせる恐れがあろう。この残響の少ない、室内楽規模のキャパシティのホールでは、そのたたきつけられるティンパニと・・・・いや、その鋭いアクセントそのものが、些か飽和状態の音になり、刺激的になってしまうのである。

 ドライな音響のホールで聴くと、内声部の動きも明確に聞こえる半面、アラもすべて聞こえてしまうのが良し悪しだ。「少し荒れ気味の読響」に戻ってしまったとまでは言わないが、どうもこれは、「アンサンブル・シリーズ」と銘打っているわりには、どのくらい練習したのかなという気もするアンサンブルであった。

コメント

このコンサート記事もだいぶ後景に退いた頃ですから、少し長めに書かせて頂きます。東条先生ごは申し訳なく存じますが、ご容赦ください。

この新聞社は地下鉄5本が乗り入れる「大手町駅」下車と聞き、さすが発行部数だけは世界一の新聞社だと思いました。しかし丸ノ内線の大手町駅を降りてみると、行けども行けども工事中の迷路が延々と続き、優に1駅分は歩かされた気がします。結局この新聞社にいちばん近いのは、「千代田線」の大手町駅だと気付いたのはホールの真下に着いた時でした。でも千代田線はJR各線の駅とアクセスが良くないのです。帰りはこの新聞社前からタクシーで東京駅へ行き、あとはJRで帰りました。東京駅までタクシーでも相当に長い距離がありました。
このホールには、あと上岡敏之と下野竜也の2回も行くことになるので、アクセスに気を付けなければと思い知りました。

それともう一点。トイレの数が極少で酷い。あのトイレが少ないことで有名な日生劇場以下で、私が知る全ホールの中でもきわめて劣悪ではないかと思うのです。ガマンしてから飛び込むと、きっと漏らしてしまいますよ。行かれる方はお気を付けください。

この会場は新聞社のホールですから、講演会やシンポジウムが主目的の筈です。そのため残響は抑えて人間の声が聴き取り易い音響設計になっています。一曲目のコールでにごく軽く"Bravo!"を贈って試しましたら、私の悪声でも良い音で聴こえました。響きの質は抜群に良いホールだと思いました。

各座席にはメモなどを取るための凝った作りのミニデスクが仕込まれています。但し、コンサートでは使用禁止となっています。もちろん私は試してみましたが。残響が少ないということは、リハーサル室の様な音響かと言いますと、それよりは響きます。そして響きの質がきわめて素直且つ良質なのです。優れた楽器と巧い演奏者の場合は極上の音と演奏を味わうことが出来ます。逆に悪い楽器と下手な演奏家ではその欠陥が隠しようもなく露見してしまう。最高の演奏にもなれば、残酷なことにもなるという演奏者にとっては侮れないホールです。何もかも味噌も糞も一緒くたに聴かせるサントリーホールや紀尾井ホールなどと、対照的なレゾナンスを持つホールです。

この日の読響は弦が10型(10-8-6-5-2)の編成で、管は勿論2管編成。このホールにぴったりか、曲の性格によってはやや大きめの編成です。しかしモーツアルトには最適でしょう。ヴァオリン協奏曲を弾いたシトコヴェツキーは、使用楽器の所為か響きはお世辞にも美しとは言えないけれど、演奏スタイルに妙な崩れが無い格調の高さがある。そのためにちょっと複雑な演奏評価にならざるを得ませんでした。有体に言えば「悪くはないけれど、素晴らしいとも言い難い」。音楽は所詮は響きの芸術ですから、このホールの残酷な音響特性が出てしまった一例です。

川瀬賢太郎はまだ青い。
しかしその青さは、極上のメロンがまだ完全に熟する前の青さ、と言ったらよいでしょう。遅くとも十数年後には完熟に至るのではないかと思います。だからこそ聴き時は今現在です。大家になってからも良いけれど、その若い頃の才気迸る時代を知っているのと居ないのでは、まるで違いますから。私は優れた才能を見つけたら、熟すまで聴き続ける主義です。但し「俗物的クズ」と「豊かな才能」を見誤らないように慎重を期して。

ところで、もしこの演奏をサントリーホールや紀尾井ホールで聴いたら、極上の名演奏になるべき素晴らしさだったと感じました。。しかしこのホールではミクロンオーダーの瑕疵でもハッキリと聴こえてしまいます。アインザッツは勿論のこと、楽器の重なり具合の微妙なアーティキュレーションに至るまで、指揮者も奏者たちも気を抜くことができなかったことでしょう。なにしろその点でも意地の悪いモーツアルトですから。彼は時代はいつであっても、精緻精妙を究める響きを楽譜の奥底に潜めた「神の子」にして「悪魔の子」ですから。

私がいちばん感心したのは次の諸点。
先ず各楽器の分離と重なり具合の微妙なブレンドを、明確に聴き取ることができたこと。それの僅かなズレも含めてです。演奏者の巧く行ったときの誇らしげな気持ちも、反対にヒヤヒヤ感までもが手に取るように分かりましたし。

次に音量の微妙な増減も、減衰も、指揮者の指示した意図が手に取るように分かること。特に感動的だったことは「休止符」の明晰さ。いつ休止に入り、その長さがたぶん百分の一秒単位で聴き取れるのです。休止符の意味が、意図が、一点の曖昧さなく分かる稀なホールです。ミューザ川崎のレゾナンスを思いきり切り縮めた、と云えば近いかも。いい加減な作品の扱いは、すべて露見してしまう厳しくも怖い、しかし素晴らしいホールレゾナンスです。

因みに読響は川瀬を下野竜也に対してそうだったのと同様に、たいせつに育んでいます。 この日はコンマス小森谷巧以下、各首席奏者が居並び、万全を期していました。トランペットなど首席二人が共に吹くツートップ体制。ビオラはもう一人のソロ首席の鈴木氏が、来週のリサイタル(クローズド)に備えて降り番でしたが、問題は無し。

読響と川瀬の共演は、今回で少なくとも4回目。まだ30歳の指揮者としては異例に多い器用です。先月は桐蔭学園コンサートにも川瀬を起用していました(クローズド)。去年の桐蔭学園コンサートは川瀬の師である「広上淳一指揮NHK交響楽団(ソリストは小川典子)」でしたから、読響も気合を入れての演奏会で向うを張ったことでしょう。

また来年の日生オペラでは、川瀬指揮読響で「後宮からの逃走」が予定されています。10年ほど前に広上淳一が読響を振って日生オペラに初登場した演目も「後宮からの逃走」でした。特殊楽器を含めて使用楽器編成も凝りに凝った上演でしたから、川瀬も相当の気構えで臨むことでしょう。(17列中央で聴きました)

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