2017-06

2015・4・29〈水〉飯守泰次郎指揮関西フィル「聖パウロ」

    ザ・シンフォニーホール  2時

 毎年この日にこのホールで4月定期を開催している関西フィルハーモニー管弦楽団(音楽監督オーギュスタン・デュメイ、首席指揮者・藤岡幸夫)の公演。
 今日は、桂冠名誉指揮者・飯守泰次郎が指揮して、メンデルスゾーンのオラトリオ「聖パウロ」という珍しいプログラムが組まれた。
 こんな曲をナマで聴けるのはこれが最初で最後だろうと、また大阪まで出かけて行く。協演は関西フィルハーモニー合唱団、声楽ソリストは朴瑛実(ソプラノ)谷地畝晶子(アルト)畑儀文(テノール)篠部信宏(バス)という顔ぶれ。

 「聖パウロ」は、メンデルスゾーン27歳、1836年の完成の大作である。
 「パウロの回心」と呼ばれる出来事を題材とした内容で━━キリスト教徒を弾圧する側の人間であったサウロが、囚人護送のさなかに天から聞こえたイエスの声に触れ、回心して真摯なキリスト教徒パウロとなり、迫害を受けながらも布教につとめたという、あのパウロを主人公としたオラトリオだ。2部からなり、演奏時間は正味2時間15分ほど。テキストと歌唱はドイツ語である。

 字幕は、やはり欲しかった。なにせ、なじみのない作品である。いくら音楽が素晴らしくても、やはり歌われている内容が理解できるに如くはない。対訳書は配布されていたものの、字は小さいし、明朝体なので色は薄く、しかも客電は半落としだから暗くて読みにくい。
 とはいえ、字幕製作は、えらく費用がかさむものだ。懐事情の苦しい自主運営オケには大変な負担だということは知っているし、あまり強いことは言えないのだが・・・・。

 音楽は美しい。メンデルスゾーン特有の流麗な叙情が全曲にあふれる。第1部の、伝道者ステファノが天の開示を語るアリアにおける木管のハーモニー、あるいはサウロに反抗するキリスト教徒たちの合唱の個所におけるチェロの旋律など、オーケストラ・パートにはうっとりするような個所が少なくない。
 バッハの「目覚めよと呼ぶ声あり」が序曲や合唱に引用される瞬間も非常に感動的だ。こういうところ、オーケストラは実に美しく演奏して行った。物語の転回点のひとつ、サウロに呼びかけるイエスの声が天の彼方から響いて来る個所などでは、ソプラノ合唱とオーケストラが歌詞にふさわしい響きを聴かせてくれた。

 マエストロ飯守は、全曲を極めて均衡豊かに、しかも温かい情感を滲ませて構築していた。「パウロの回心」のくだりでは、合唱と管弦楽を勝ち誇ったように盛り上がらせたが、全体としては、どちらかというと淡々とした指揮ぶりだ。前出のいくつかの個所など、もう少し良い意味でのハッタリを利かせてもいいのではないかという気もしたが━━しかしこのストレートな良さも彼の持ち味であることはたしかなので、求めるとすれば、むしろ音楽づくりにおけるメリハリ、といったものだろう。

 それには、しかし、声楽陣にも責任がある。特に合唱団の━━健闘していたことは間違いないが━━ドイツ語の発音が甘くて不明瞭なので、これが演奏全体を過剰になだらかに、しばしば平板なものにしてしまっていたようだ。
 なお、この合唱団は、テナーのパートをもう少し整備していただきたい。そして、わずかな出番ながら、ソリの個所は、プロの演奏会としては素人並みの出来だった。

 ソロ歌手陣も健闘していて、特に女声2人は声楽的に好演していたが、ソプラノは第2部にいたって少々精彩を欠いた傾向なきにしもあらず。テノールの畑義文は以前より低音域に力を増したが、その一方、高音域が不安定になっていたのが気になる。

 関西フィル。あまり大きな音を出さずに余裕のある響きを聴かせてくれたが、先日の「4大オケ」での緻密な演奏を聴いたあとでは、また音が「粗く」なってしまった感がある。飯守はもともとアンサンブル形成よりも情感を重んずるタイプだから、合奏力はオーケストラ自体が自主的につくって行くべきものだろう。

 終演は4時40分頃。関西フィルの意欲的なレパートリー開拓の姿勢を称えたい。
 だが最後にもうひとつ、カーテンコールの際、楽員さんたち、お疲れのことは解りますが、もう少し、笑顔の一つも客席に見せていただけませんでしょうか? あんなに不愛想で不機嫌な怖い顔でこちらを睨みつけられては、拍手する手も萎えてしまう。最後に全員が一礼するので、そこでは大いに拍手を送れるのだが・・・・。

コメント

なぜ日本のオーケストラの楽団員には終演後に自然な笑顔がないのか、本当に不思議です。客商売なのにおもてなしの笑顔の一つもないのかということではなくて、音楽の表現そのものとか音楽を楽しむ心と結びついている本質的な問題だと思います。音楽を勉強するように、コンサルを頼んで笑顔の練習もしたほうがいいのでは。

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 この曲、案外市民合唱団で演奏されることがあり私も2008年大阪響で歌ったことがあります。テキストは細部は殆ど覚えていなかったがメンデルスゾーン特有の叙情的な旋律と激しい叩き込むようなところなど魅力的な名作だとおもいます。ちょっと長すぎるけれど。
 やはり字幕が有ると一層よかった。2部で会場中、ガサガサした音が充満していて笑ってしまった。
 ソリストもよかったと思うがメンデルスゾーンは何故かアルトに一曲しか歌わせない。「賛歌」もそう。メンデルスゾーンの評価を高める曲であり「エリア」(これも歌ったことがある)も今後企画してほしいものだ。自前の合唱団もできたこともあり。

カーテンコールでの件、コメントにもありましたがこれは日本のプロ・オーケストラほとんど全て(を聴いたわけではないですが)に共通する特徴のような気がします。無愛想というより無表情なのですよ。演奏がズタボロだったのなら理解できますが、演奏が素晴らしく聴衆も拍手喝采している時でもその演奏を成し遂げた感動とか達成感が伝わってこないというか役人のような冷たさすら感じ興醒めさせられる時すらあります、6月12日 ラザレフ/日フィル ショスタコ8番のページでのコメントに「本気が感じられない」と書いたのは(それでも演奏は十分良かったが)まさにこのためであり、満足気に楽員を誉め讃える指揮者と無表情な楽員との間に非常に温度差を感じたのでした(時間経過がおかしいですがこれを書いてるのが6月なので、すいません)。このあたりが欧米のオーケストラと日本のそれとが決定的に違うところではないでしょうか?彼等が日本で演奏する時は「これが俺たちの音楽だ」という自信とプライドを強く感じることが多いです。それと曲に対する愛情も・・・それがカーテンコールにも表れているんですね。それと比べるとどうしても日本のオーケストラは冷めた感じがしてしまうのです(日本の音楽教育そのものにも問題があるのかも・・・、ベルリオーズもR・シュトラウスも知らない音大生も居るというから・・・)。 もちろん例外はあります。最近では3月のラザレフ/日フィル ショスタコ11番のカーテンコール時、演奏が素晴らしかったので一生懸命拍手していると(一階二列目)ヴィオラ奏者の方と目が合い笑顔で頷いていただいて嬉しかったという思い出がある。東響のコンマスの大谷康子さんはいつも上品な笑顔で客席に応えているしN響のコンマスの篠崎さんもカーテンコールでは笑顔を見せることが多い。笑顔は無いですが同じN響で首席チェロの藤森さんは何時も全身全霊で演奏していてカーテンコールでは力を全て出し切ったような憔悴した顔をしている。特に尾高指揮 ウォルトン1番では弦をブチ切るんじゃないかと心配になる程の猛烈な熱演!大ブラボーだ!(この時は他の楽員も凄かった!アルトゥスあたりがCD化してくれないだろうか・・・)。ここまでやってくれれば愛想など無くても私は大満足です。

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