2017-10

2015・4・25(土)ピエタリ・インキネン指揮日本フィル

    サントリーホール  2時

 これは定期。ブラームスの「ピアノ協奏曲第1番」(ソロはアンジェラ・ヒューイット)とブルックナーの「交響曲第7番」を組合わせた、長大かつ重量感たっぷりのプログラム。

 5年ほど前、スダーンが東京響を指揮してブルックナーの「8番」を取り上げた時、第1部にショパンの「ピアノ協奏曲第2番」を置いたことがあったが、それに勝るとも劣らぬ量感だ。あの時は「大戦艦と巡洋艦が一緒に来たようなもの」と思ったが、今度は戦艦が2隻一緒にやって来たようなものか。インキネンのテンポは遅めなので、前者は47分、後者は72分の演奏時間を要した。休憩を含めると、優に2時間を20分ほど超える。

 だが、そのインキネンと日本フィルの演奏は、思いがけぬほどに見事だった。先日の「レンミンカイネン」組曲でのくぐもった美しい音色の演奏にも驚嘆させられたが、今日はそれにも増してオーケストラのバランスの良さ、集中力の豊かさに魅了された。日本フィルもついにここまで来たか、と感慨。

 ブラームスでは、重厚で緻密な響きのうちに、透明さと翳りの音色の交錯が絶妙な感覚を生み出す。この洗練された音色は、これまで日本フィルからは━━いや日本のオーケストラからも滅多に聴けなかった類のもので、インキネンの卓越した指導力をうかがわせるだろう。じっくりと構えた遅いテンポが、第1楽章提示部でやや緊張を薄めさせる傾向はあったものの、全曲はむしろ自然体で貫かれ、滔々と進むシンフォニックな推進力が、この長大なコンチェルトを壮大なスケール感で彩る。
 ヒューイットは、気合の入ったジェスチュアでファツィオリのピアノを弾く。時々不安定になるところもないではないが、この人のちょっと官能的な息づかいを感じさせるピアノは、ブラームスのこの力み返った協奏曲を、極めて瑞々しく聴かせてくれるのである。

 ブルックナーの「7番」では、遅いテンポながら、インキネンらしく引き締まって透明な叙情感にあふれた演奏が素晴らしい。第1楽章冒頭のトレモロは、それこそ聞こえるか聞こえないかのぎりぎりの最弱音で開始されたが、その精緻な音づくりこそが、この「7番」全体を象徴するものであったろう。
 音色こそ清澄透明な趣だが、音楽そのものの表情は、明暗の対比が実に鮮やかだ。特に第2楽章での、金管による第1主題と弦による第2主題との対比の明確さ、あるいはコーダでのワーグナーテューバとホルンによるハーモニーの明暗の対比の鮮やかさ、つまり情感の変化。

 ハース版のテンポを基本とした第4楽章は、造型的なバランスの豊かな構築のうちに、巧みにクライマックスへ盛り上げられた。
 なお、ハース版使用ではあるものの、第2楽章にはティンパニ、シンバル、トライアングルも加えられていた。いわゆる「折衷版」である。

 それにしても、インキネンという指揮者、ただものではない。初めて聴いた頃は、すっきりした音楽が身上の若手という程度の人かと思っていたが、これは並外れて凄い才能を持った指揮者である。日本フィルはいい若者を首席客演指揮者に━━来秋からは首席指揮者に━━選んだものである。
      ⇒別稿 音楽の友6月号 演奏会評

コメント

いつも東条さんの日記を楽しみに読んでいます。
今回の日フィル定期、私も同じ日に聴きました。2日目ということもあってか、全体によい演奏だったと思いますが、私の印象は一部異なります。
ブラームスの方は、オケの音色が、ややがさついていたように思いました。
また、ヒューイットのピアノも、聴く前の期待が大きすぎたせいか、やや拍子抜けでした。そもそも、ファツィオリというピアノは、数回しか聴いたことがありませんが、音は美しいものの、やや音量に乏しく、ロマン派以降のコンチェルトには不向きなような気がします。それとも、ヒューイットが音量のない演奏家なのでしょうか?
ブルックナーの方は1、2楽章は本当に素晴らしかった。しかし、3、4楽章は音楽の推進力が欠けていたように思います。
とはいえ、日フィルは東条さんがおっしゃるように、この数年でレベルが急上昇しましたね。以前は毎回のようにアンサンブルが崩壊し、個々のプレイヤーも粗忽なミスが多かったのが嘘のようです。インキネンへの評価も同感です。一昨年のシベリウスチクルスで一気にファンになりました。
ただ、このオケは、マナーの悪い聴衆が多いのが問題だと思います。この日も、客席のあちこちで、演奏中のビニル袋を破る音(飴玉?)やおしゃべり等が散見されました。私の席近くには、電源入りのスマホをいじっている人もいました。終演後の、2階からのあのような大きな花束投げ入れも論外だと思います。ひとつ間違えば、バイオリニストの体や楽器に影響があったかもしれません。
マナーの悪い聴衆はどこのオケでも見かけますが、日フィルは際立って多いように思います。せっかく演奏力が向上しているのですから、聴衆のマナーもレベルアップを望みたいところです。

私は初日、二日目の両方とも聴きました。インキネンの「ブルックナー7番」という大注目のプログラムですから。
座席は両日とも同じ1階15列真中央。
まず初日です。

インキネンはワーグナーでも、マーラーでも、勿論シベリウスでも、その響きの澄んだ美しさが特徴です。これは容易には出来ないことですが、彼はやってのける。どんな総奏でもすべての楽器群が絶妙のバランスを纏い、在るがままの響きが浮かび上がり、私の席に届いてくる。しかもヴァオリンの名手でもある彼は「耳」が抜群に良いので、大オーケストラでも音程感は完璧に整えられている。それだけでも在京オケの指揮者随一の存在です。日本フィルも嘗てとは様変わりです。

それにしても、彼の振るあんなにも澄みきった響きのブルックナーやマーラーやワーグナーは、前代未聞です。 「ブルックナー第7番」の第3楽章の謂わば主役は、トランペット。しかしTp首席クリストーフォリのソロは音力が突出することなく、全体のバランスの中にキチンと納まる。あのソロを弱音系の柔らかな美しい響きで吹くことは至難の業ですが、彼はインキネンの指示を事もなげにこなすのでした。たいへんな妙技です。また第2楽章のワーグナーチューバ4本も、その点で見事なバランスが光ります。全曲のクライマックスだからと、ここぞとばかりに殊更突出して目立つことは無い。しかしワーグナーの死を悼み悲しむ第2楽章の独特の音色を、全体のバランスの中でしっかりと創り出す。インキネンもインキネンなら各奏者たちも奏者たち。鞍馬一体となってこの曲を、最後まで澄んだ響きとバランスで響かせるのでした。

因みにこの日は、インキネンが音楽監督を務めるニュージーランド響のコンマスがゲストで座りました。そして総計9名のホルン&ワーグナーチューバ群には、意外な奏者の姿がありました。まずホルンのトップは都響の首席奏者、そしてブラームスのホルン3番とブルックナーのワーグナーチューバ2番には、先月末を以て退団し、天下の名手山岸氏の後任として読響の栄えあるホルン首席奏者となったばかりの日橋(にっぱし)氏が、例のニコニコ顔で座っているのでした。

日本フィルではこれからも、インキネンがワーグナーやブルックナーやマーラーを振る計画です。その度にホルンに多くの奏者が必要で、優秀な奏者である日橋氏を可能な限りエキストラ奏者として招くことでしょう。いっそのこと、「日橋助っ人記録ノート」を作ろうかと事務局内で話し合っているかも知れません。

今後のインキネンに期待される変化は、勿論たくさんあります。それは詰まるところ最終的には、今の澄みきった響きと完全なバランス感に加えて、年齢の熟成と共に来るもの。つまり全体の響きの厚みと凄み、そして想定外に立ち現われる「高み」への願望でしょうか。それは"神が降臨した"とか云った類の馬鹿げたオカルトチックな非音楽的なことでは勿論なく。またラザレフの齎すマッシヴな響きとは別の、インキネンだけの特別な特性としてです。たぶん、その時がきっとやって来るに違いない。

ブラームスの「ピアノ協奏曲第1番」については、残念ながらピアニストの非力さは明らか。独りだけ走り過ぎたり、つんのめって転んだり、錯乱したりと散々でした。あれではオケは合わせようがない。彼女の得意とするバッハでも感じてきた疑問点が、ブラームスのヴィルトゥージティでは殆ど全く通用せずに拡大露呈したと言わざるを得ません。

でも熱烈なファンも多いらしい彼女ですから、一つだけ好もしい発見を。
彼女はこの曲に潜むポリフォニックな書法に一歩足を踏み入れて、ユニークな響きを現出している箇所もありました。例えば第2楽章の「祈り」では、ブラームス最晩年の間奏曲に聴かれる響きを醸すシーンがあって、胸が詰まりました。また終楽章では、恰もトッカータ風に突き進むなど、一風変わった響きの「ブラ1」とはなりました。他の演奏家と比較するのは愚の骨頂ですが、先日放送で聴いたライブの凄演を思い出してしまいました。それはショパコンのアルゲリチ以来史上二人目の女性覇者アヴデーエワが、クラウザ指揮ポーランド放送響と弾いた演奏でした。

二日目。2通併せての長文、失礼いたします。
座席は初日と同じ1階15列の真中央。

初日にも増して見事な響きに満たされて、ちょっと前代未聞のブルックナーを体験してしまった、という思いでいっぱいです。普通は二日続けて聴くと、手の内を知った後の二日目は客観的で厳しい聴き方をするものです。しかし、今回ばかりは違いました。両日共にそれぞれに深く優れた前例のない演奏表現だったのです。

素晴らしかった初日の諸特性を、二日目は更に一層磨き抜いて、響きに自由で豊麗さまでが加わっていたのです。毎回聴くたびに成長と変貌の著しいインキネンですが、今回は一日で前日を遥かに超える表現をやってのけるまでになっています。これはよく言われる「日本フィルは初日より二日目の方が出来が良い」といった様な、ルーティンな評価とはレヴェルが違いました。初日だけでも嘗て無いほどまでに日本のオケのブルックナー演奏として破格のものだったのに、二日目はまた別の面まで見せるのですから、まったく参りました。まだ「第7番」だけですが、これを聴いたらスクロヴァチェフスキ&読響も真っ青でしょう。読響はインキネンまでも欲しがるかも知れません。

前半はブラームスの「ピアノ協奏曲第1番」。オケにとってもピアニストにとっても超難曲です。、日本フィルがこの協奏曲を定期で採り上げたのは久しぶりでした。私の記憶しているのは、1978年11月にゲルバーの独奏、ビエロフラーベクの指揮する東京文化会館時代の定期でした。共にまだ20代の新進気鋭の二人でしたが、深い感銘を受けた記憶が鮮明に残っています。メインは日本初演となったドヴォルザーク「交響曲第5番」でした。これも意義深い初演でした。その後も日本フィルと密接な関係を持っているビエロフラーベクは、今や世界的マエストロになっています。「栴檀は双葉より芳し」の一例です。

今回のヒューイットの二日目のブラームスは、初日よりは安全運転でしたから、オケも合わせやすかった筈です。それほどまでに初日のピアノの暴走演奏は論外でしたから。それでもこの初心者の暴走運転には呆れます。私はこれまで"FAZIOLI"ピアノを可能な限り多く聴いてきました。それについては「FAZIOLIピアノ考」と云ったテーマで日記に書こうと思っています。(実は10年前に今は亡き「クラシック招き猫」に書いています。)

この世界一美しい響きを持つFAZIOLIピアノから、あのような汚い響きを聴いたのは初めての不幸な経験でした。インキネンが繰り出すオケの精緻精妙な美しい響きを、ピアノが入った途端にぶち壊すヒューイットの演奏は、初心者だから(事実呆れたことに今回が初めての同曲演奏だったとか)と言って済ませるのは、作品と聴衆に対して無礼です。残念でなりません。

それとインキネンの今後の課題も、若干見えてきました。
彼は今後も継続してブルックナーにアプローチし続けると言っています。あれだけの高い成果を聴いてしまった以上、こちらも期待し無い訳に参りません。その際にはブルックナーに付きものの「長い」と感じさせる印象を、少しでも緩める手法を身に付けて欲しいのです。今回で不足は無いのですが、尚も上を目指すとすればの仮定の話しです。それはブルックナーの本質をある程度否定することにもなり兼ねないので、深い考察が必須でしょう。またインキネンに対してオケの側の対等で自発的な演奏姿勢(例えばインキネンの棒の動きをオケの側から逆に促し、鼓舞すること)も含めてのことです。単純にテンポを速めたり、休止符を短く切りあげたり、リズムを弄ってもダメです。ブルックナーの音楽が持つ特性が壊れてしまいますから。指揮者とオケが対等に高い次元で競いながら、が実現した時を想像するだけで 、胸が躍ります。

さあ、これから先、どうするインキネン?
今回をベースに、それ以上の世界最高レヴェルのブルックナー表現を目指して突き進め。
世界を掴め!

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私もケルビーノ氏にまったく同感。
アクセス数の多いブログのコメント欄に自説を長々と書くのはマナー違反でしょう。

そもそも私は、東条先生の御高説を読みたくてアクセスしているのであり、素人さんの意見には何ら興味がありません。
だったら、読まなくてもいいだけの話かもしれませんが、あそこまで長くてはスクロールするのさえ面倒くさい。

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