2017-11

2015・4・17(金)インゴ・メッツマッハー指揮新日本フィル

    すみだトリフォニーホール  7時15分

 Conductor in Residenceインゴ・メッツマッハーの最後の定期の初日。R・シュトラウスの「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」および「死と変容」を前後に置いて、真ん中にエドガー・ヴァレーズの「アメリカ」と「アルカナ」を入れた、実に個性的で意欲的なプログラムで、最後の定期のプログラムを飾る。

 メッツマッハーは、新日本フィルとは、ポストには僅か2年足らずの在任だったが、関係は2010年の客演以来だった。この間、「ヴァルキューレ」第1幕や「アルプス交響曲」、マーラーの「悲劇的」、ツィンマーマンのシリーズなど、重量感のあるプログラムを指揮し、手応え充分な演奏を聴かせてくれたのだった。その功績は実に大なるものがあるといって過言ではない。

 今日の定期も、メッツマッハーの本領が発揮されたもの、といっていいだろう。
 彼の指揮は概して、骨太で荒々しいエネルギー、たっぷりとした厚みのある強靭な音響構築といった持ち味が魅力だから、音楽にそういう特徴が生かされている個所では成功を収めている。

 R・シュトラウスの2曲では、新日本フィルの管の一部に雑な演奏が聞かれたため、骨太な要素と細やかな叙情とが肉離れを起こしていた趣があったけれども、シンフォニックな流れは充分に聴かれていた。
 たとえば「ティル」の後半、主人公の悪戯がクライマックスに達する個所などでは、まるで魔王か怪獣が大暴れしているような悪魔的な力感が演奏いっぱいにあふれていたし、「死と変容」でもテンポの対比が大きく、エネルギッシュな烈しさが死の暴虐を描き出していたのだった。

 ヴァレーズの大オーケストラ曲を2つ並べて聴けるなどというコンサートは、滅多にないだろう。ヴァレーズの作品は、60年代から70年代のはじめにかけ、レコードでは結構もてはやされていたという記憶があるが、近年はなかなかナマでは聴けない。
 「アルカナ」はこれが日本初演と銘打たれており、「そうかなあ?」という気もするが、たしかに私も、ナマで聴くはこれが初めてだと思う。

 2曲とも、良く言えば豪壮な力感、悪く言えば凶暴無比、これでもかとばかり延々と大音響がたたきつけられる、騒々しいことこの上ない曲だ。が、この恐るべき狂乱の音の渦巻には、ある種の不思議な魅力がある。
 「アメリカ」は、破壊的で混沌たる苦悩のアメリカともいうべく、百年近く前に作曲された作品でありながらも、妙に今日的なイメージを感じさせるだろう。こういう曲なら、オーケストラが少しくらい荒れていようがいまいが、構ったことではない。いや、後半で、オスティナート的な動きをするテューバなどが明確に浮かび上がって来るあたり、メッツマッハーの構築設計もなかなか細かいなと感心させられたくらいだ。
 一方、休憩後に置かれた「アルカナ」の方は、秩序をやや取り戻した作品であり、演奏も全体に引き締まったものに感じられた。

 ━━とにかく、面白い演奏会だった。メッツマッハーには改めて感謝。
      別稿 音楽の友5月号 演奏会評

コメント

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>「アルカナ」はこれが日本初演と銘打たれており、「そうかなあ?」という気もするが、たしかに私も、ナマで聴くはこれが初めてだと思う。

じつは私、大昔に尾高さんがN響あたりを指揮してこの曲をやっていたのをTVで観たような記憶があります。確かメータによる同郷のLPがヒットしてからしばらくしてのことだったような。ただ東条さんも初めて聴かれるというのですから私の記憶違いなのでしょう。尾高さんにお聞きすることができればハッキリするとは思いますが…気になりますねえ。小さなことが気になってしまう、私の悪い癖。

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