2017-09

2015・4・12(日)東京・春・音楽祭 ベルリオーズ:「レクイエム」

   東京文化会館大ホール  3時

 自称ベルリオーズ超愛好家としては、演奏されるのがごく稀な「レクイエム」を聞き逃すわけには行かない。
 これは「東京・春・音楽祭」の最終公演だが、「都響新時代へ、大野和士のベルリオーズ」と題されているところは、都響定期のCシリーズみたいな感がある。
 演奏は、その大野=都響に、合唱が東京オペラシンガーズ(合唱指揮 レナート・バルサドンナ)、テノール・ソロがロバート・ディーン・スミス。

 演奏されるのは日本では稀━━と言ったが、それでも1960年代以降、小澤征爾指揮で2回、秋山和慶指揮で1回、シャルル・デュトワで1回、あともう1回か2回・・・・という具合に、聴く機会も皆無ではなかった。
 どの演奏会でも一長一短だったのが、金管のバンダの配置の場所である。

 私の経験の中で、最も聴き易かったのは、小澤征爾が日本フィル(旧)時代にこの同じ東京文化会館大ホールで演奏した時のもので、バンダはそれぞれ5階席に配置されていた。そのため、特に1階席で聴いていると、バンダの金管群のファンファーレは、非常な高みから適度な距離感・遠近感をもって響き、舞台上のオーケストラやコーラスを打ち消すことなく鳴り渡ったのである。
 特に「怒りの日」の大爆発の個所では、8対のティンパニの怒号の上に金管群が左右後方からこだまするように重なって響いて来て、その音の洪水の中に身体が浮き上がるような錯覚に陥ったことを、今でもまざまざと記憶している。

 だが今日のバンダ群は、それよりもはるかに低い2階席に配置されていた。管の本数こそ少し減らされてはいたものの、この位置は、すべての客席にあまりにも近すぎたのではなかろうか。少なくとも1階席の19列目やや下手寄りで聴いていた私には、その刺激的な大音響が耳をつんざき、舞台上のオーケストラの音をすべてかき消してしまい、そのあともオケ本体や合唱の音が甚だ遠いものに感じられてしまったことは、たしかである(左右のファンファーレが明確すぎ、ずれて聞こえるからますます始末に悪い)。

 マエストロ大野は、このようなバンダの音を、至近距離から響かせるのが好きらしい━━いつかの東京芸術劇場での「アルプス交響曲」の時にも、ふつうは舞台裏から遠く響かせる「狩のファンファーレ」を、正面オルガン席の下にずらりと位置させ、オケ本体の音をかき消すほどの大音量で轟かせたことがある。
 「アルプスの大岩壁にこだまするような感じで、いいでしょう?」と、あとでご本人から訊かれて、何と答えていいか、とっさに返事できなかったが・・・・。

 それでなくても、今日は何故か舞台上のオーケストラの音が、いつもよりさらに、客席へストレートに響いて来ないという現象があった。これは、必ずしも私の耳のせいでもなかったような気がするのだが。
 そもそもこの「レクイエム」の最も素晴らしい部分は、大音響の個所ではなく、実はピアニッシモの個所にある。後半の「オッフェルトリウム」しかり、「サンクトゥス」しかり、「アニュス・デイ」しかり。これらの叙情的で神秘的な最弱音が、もっと瑞々しく響くような音響設定がつくり出されていたら、今日の演奏は、もっとずっと感動的なものになっていたのではなかろうか━━。

 舞台の一番奥の高所で「サンクトゥス」のソロを歌ったロバート・ディーン・スミスは、この曲想からしての立ち位置と、その声の響きのバランスはベターだったが、「et terra」の最高音(Bフラット)は、やはりちょっと苦しかったようである。
 この曲の場合、ここは本当に難しいらしい。日本でこれを歌ったテナーのうち、一番声がきれいだったのは、ジョン・健・ヌッツォだった。前出の小澤=日本フィルの時に歌ったテナー(結構有名な人だった)は、2回の公演とも、全部同じ個所で完全にひっくり返っていた━━当時日本フィルのライヴを放送していた文化放送は、たしかやむをえず「サンクトゥス」をカットしたように思う。

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