2017-09

2015・4・4(土)シルヴァン・カンブルラン指揮読売日本交響楽団

   東京芸術劇場  2時

 バルトークの「管弦楽のための協奏曲」が演奏される第2部、コンサートマスター(小森谷巧)までがすでに着席してホール内は静まり返っているというのに、舞台奥の金管セクションの席は延々とガラ空きのまま。さては金管奏者たちが組合ストでも起こしたか、ポーカーでもやっていて「出」を忘れたか・・・・? 
 天下の読響ともあろうものが何たること、お客さんに対して非礼な・・・・と、ホール内に異様な雰囲気が立ち込めはじめる中で、待つこと約2分(これは長すぎる!)。やっとトランペットやトロンボーン奏者たちが出て来て━━。

 あとで事務局に訊くと、トロンボーン奏者の1人の楽器が故障し、予備の楽器を地下の駐車場のクルマまで取りに行って、それで・・・・ということだったとか。
 それなら仕方がないが、そういうことなら、せめて事務局の責任者が舞台に出て来て、事情をシャレのめして説明するとか、遅れた奏者たちが入って来る時に愛想よく客席にお辞儀をしてみせるとか、そのくらいのユーモアがあったら、むしろ客席を和ませ、コンサートの雰囲気さえ明るくさせたであろう。奏者たちが出て来れば、拍手で迎えられたに違いない。こういうところ、もっとやり方をスマートにしたらいいのに、と思う。
 あるいは、それをステージマネージャーに早く連絡して、いっそ全員の「出」をもっと遅らせるかだ。

 実は昨夜も、大野和士がプレトークを始めた時、PAがほとんど効かず、しばらく彼はナマ声で一所懸命喋っていた。
 やがてマネージャーが出て来て彼に近寄り、おもむろに何かを手で教えると、大野は照れ臭そうに「マイクをサカサマに持ってました」と釈明、「もう一回やり直し」とかやった。これで聴衆は爆笑、客席の雰囲気はいっぺんに明るくなった━━といういきさつがあったのである。

 ことほど左様に、何かあった時には、率直に説明すれば、客は怒るどころか、むしろ面白がって寛容な態度を取るものである。変に取り繕ったり、知らん顔をしていると、雰囲気は悪くなってしまうものなのである。幸いに、今日はマチネーシリーズだったためか、お客さんたちはおとなしかったが、クレームがなかったからいいということでもなかろう。

 で、今日の本題。演奏そのものは、実に聴き応えがあった。
 最初がグルックのオペラ「オルフェオとエウリディーチェ」から「序曲」「精霊の踊り」「復讐の女神たちの踊り」━━こんなのは、演奏会では滅多に取り上げられないプログラムだが、今日のように切れ味鋭いリズムの引き締まった演奏で聴くと、カンブルランと読響には、このあたりのレパートリーをもっと数多くやってもらいたいなという気持がいっそう強くなって来る。
 「序曲」での澄んだ音色と切れ味のよさ、「復讐の女神たちの踊り」でのダイナミックで荒々しく鋭い弦の躍動。ただし後者では、音を割ったホルンの咆哮が終始浮き彫りにされ過ぎて、弦がマスクされ、音楽の形式性を曖昧にする傾向が無きにしも非ず・・・・ということはあったろう。

 2曲目のハイドンの「交響曲第94番《驚愕》」も引き締まった精悍な表現で、この作曲家のウィットを躍動的に再現してくれた演奏であった。第2楽章でのあの「一発」のところで、私の隣に座っていたオバサンがビクッとなさったのは何とも可笑しく、現代でもまだあの「衝撃」は通用する余地があるのだなと、ちょっと愉快な気持になる。

 最後のバルトークの「管弦楽のための協奏曲」は、濃密に構築されたシリアスな演奏。管に些かの揺れがあった以外は、すこぶる立派な演奏だった。特に第4楽章での弦楽器群の音色は透き通って空間的な拡がりがあり、幻想的な趣さえ感じさせたのである。カンブルランと読響、相変わらず快調だ。

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