2017-09

3・30(月)METライブビューイング 「イオランタ」「青ひげ公の城」

    東劇  6時45分

 2月14日の上演ライヴ。
 映画監督マウリシュ・トレリンスキが新演出した2本立てというのが第一の話題になっていた。
 チャイコフスキーの「イオランタ」はハッピーエンドのメルヘンとして、バルトークの「青ひげ公の城」は男と女の深刻な心理ドラマとして一般には解されているオペラだから、この2本立ては明と暗の対照的組合せが狙いかと思われがちだが、実はトレリンスキの新解釈は、違う。

 まずチャイコフスキーの「イオランタ」だが、美しく純粋なイオランタ姫が生まれながらにして盲目なのは、父王レネの娘への過度の溺愛がその遠因である━━というのが、トレリンスキの解釈なのだ。
 つまり、愛娘を手離したくないという父親のエゴイズムが悲劇を生んだという設定なのだが、トレリンスキのアイディアが巧妙極まる所以は、父王がそのエゴイズムを、自らは全く意識していない━━という描き方をしていることにあるだろう。父親を悪者にせず、あくまでも娘の幸福な結婚を願い、その眼の治療の成功を祈り、医者の提言通りに娘をして「目が見えるようになりたい」との意欲を持たせるよう仕向ける父親━━として描いているのである。
 もちろんイオランタ姫も、ごく自然に父親から恋人へ関心の対象を移して行く。

 したがって、この演出では、演技と歌詞との間に齟齬を生じることは全くない。彼女を囲む人々は、原作どおりに、だれもが温かい。
 だが最終場面で、視力を得たイオランタを囲んで人々が神への感謝の祈りを高らかに捧げたあと、だれもいなくなった舞台にただ独り立ちつくす孤独な父王の姿を一瞬見せる、という個所に、トレリンスキは、この父親の━━つまり男の複雑な心理を垣間見せるのである。彼のコンセプトは、決して押しつけがましくはないが、明確である。

 こうして「イオランタ」の物語は、男と女の心理ドラマとして、次の「青ひげ公の城」と、完璧に結びつく。
 なおトレリンスキ自身は、インタビューで「2つの作品は、同じ女性の姿を異なった形で描く」と語っているが、それもある意味では当を得たコンセプトであろう。

 バルトークの「青ひげ公の城」では、トレリンスキは、幻想的な映像を駆使して、あたかも映画のような光景を現出させつつ、ストレートに演出している。
 たとえば、青ひげを精神病の患者に、妻ユディットを看護師に仕立てる、などといったような読み替えは、一切行なっていない。また彼は事前のインタビューで、ヒッチコックの映画「レベッカ」に影響を受けたと語っていたが、実際の舞台ではユディットの言動に「青ひげの過去を疑う」という原作のコンセプトをそのまま反映はさせてはいるものの、特に「レベッカ」そのものを再現しているわけではない(強いて言えば、不気味な廊下の光景か?)。

 ただ、原作で重要な役割を果たす「7つの扉」は、この演出では使用されてない(鍵は出て来るが)。場面が次々に変わるだけである。
 冒頭は、暗い森の中にクルマで乗りつけたユディットを、独り煙草を吸いつつ立ちつくして物思いにふける青ひげが迎えるというシーンで開始される。この同じ場面が、「7つ目の扉」のところで再現され、掘り返された土からは、青ひげの昔の妻の死体が見え、彼はそれを抱いて回想に耽る・・・・という幕切れになる。ちょっとやり過ぎのきらいもあるが、まあ、不気味ではあろう。

 さて、今回はワレリー・ゲルギエフが指揮した。「イオランタ」での、姫とヴォデモン伯爵の二重唱場面や、彼女の目の治療が成功する場面、最後の全員の喜びの合唱場面などでの音楽の盛り上げ方の、まあ実に巧いこと。このオペラの音楽がこれほどドラマティックに感じられたのは、私には初めての体験だった。彼のロシア・オペラの指揮は、やはり並のものではない。
 もちろん「青ひげ公の城」での指揮も緊迫感に満ちて見事であり、特にユディットが「青ひげの過去の妻」の仲間入りをして行く個所での悲劇的な昂揚も凄い。

 歌手陣。イオランタはアンナ・ネトレプコ。堂々たる体格になりすぎて、清純な少女という雰囲気も薄くなったが、歌唱の巧さ、演技の巧さなど、やはり得難い存在である。
 だが、ひときわ光っていたのは、騎士ヴォデモン伯爵を歌い演じたピオトル・ベチャワだろう。品のいい舞台姿といい、若々しく張りのある声といい、どこから見てもこの役柄にぴったりである。この人、どのオペラを観てもサマになっている。好調そのものだ。

 プロヴァンス王レネには、予定されていたアレクセイ・タノヴィツキに代わり、イリヤ・バーニクが登場したが、ちょっと悪役的な容貌ながら、意外に好い父親役ぶりを見せ、声にもロシア・オペラらしい迫力を感じさせていた。他にアレクセイ・マルコフ(ロベルト公爵)、イルフィン・アズィゾフ(医師エブン=ハキヤ)らが出演。

 「青ひげ公の城」では、青ひげをミハイル・ペトレンコが、いつもとは全く違う雰囲気のメークで非常に微細な演技を見せ、いつも通りの強靭な声で凄味を出した。彼の声は、10年前にマリインスキーでハーゲン(神々の黄昏)を歌ったころに比べると、ずいぶん太くなり、力にあふれるものになったようだ。
 ユディットには、ドイツ出身のナディア・ミヒャエル(総支配人ゲルブはインタビューで「ミカエル」と発音していた)が登場、愛する夫のすべてを知るまでは一歩も退かぬといった強い性格のユディットを迫力に演じていた。
 2人の登場人物がこれほど緊迫感を保って応酬を続けた演奏は、稀だろう。それもゲルギエフの巧みな指揮によるところが多い、とも言えるのだが。

 照明とビデオ・プロジェクションはすこぶる見事だった。だがこれはやはり、映像で観るより、現場で観ないと、そのスケールの大きさは判らない類のものだろう。

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