2017-08

3・22(日)ヴェルディ:「オテロ」(2日目)

   神奈川県民ホール  午後2時

 ダブル・キャストの別組。アントネッロ・パロンビ(オテロ)、安藤赴美子(デズデーモナ)、堀内康雄(イアーゴ)、池田香織(エミーリア)、大槻孝志(カッシオ)、与儀巧(ロデリーゴ)、デニス・ビシュニア(ロドヴィーコ)、青山貴(モンターノ)。その他の人々は、昨日と同じである。

 歌手陣が異なると、沼尻竜典の指揮もアプローチを変えるのか、前日の演奏とは雰囲気を些か異にし、イタリア・オペラらしい伸びやかさと自由さが加わっていたように感じられる。何より、誇張のないテンポに納得がゆく。劇的な起伏も大きく、特に第3幕後半の大アンサンブルでのひた押しに押す力は、昨日の演奏をもしのぐほどだった。彼のこれまでのオペラ指揮の中でも、とりわけ優れたものと言えるだろう。

 神奈川フィルも、さすがに2日目とあって、昨日に比べると格段に演奏が良くなっていた。平土間席の真ん中あたりで聴く限り、オケはあふれんばかりの豊満な量感で鳴り響いていた。いつもこういうヴィヴィッドな感じで鳴ってくれれば、と思う。
 なお第2幕最初の合唱とオケとのバランスは、今日も昨日と全く同様だったから、明らかに指揮者の意図だったということになる━━これだけは、あまり賛意を表しかねるのだが。

 今日の演奏が、いかにもイタリア・オペラ━━という雰囲気になった要因のひとつには、オテロを歌い演じたパロンビの存在があるだろう。
 体格も堂々たるものだし、声もたっぷりとしているから、たとえば冒頭の「オテロの登場」でも、上の「A」の音を楽譜よりは延ばし気味にして、大見得を切る。そしてラストシーンの「オテロの死」の場面では、原譜よりずらして歌ったり、慟哭の声や悲鳴をえらく派手に交えたり、と、いかにも大時代がかったイタリアのテノールという雰囲気をモロに出すのが、何とも可笑しい。「これはオレの舞台だ!主役はオレだ」といった調子なのである。

 ヴェルディの音楽で描かれたオテロは、最後にもう一度「英雄」としての威厳を取り戻し、慟哭の裡にも潔く死を選ぶ━━という姿であるはずだ(ドミンゴは常にそのスタイルでやっていた)が、今日のパロンビは最後まで取り乱し泣きわめく、というオテロ像で、ごくごく人間的な演技解釈といえるかもしれない。
 私の考えでは、これはヴェルディの音楽が描くオテロ像とは違うのではないか━━いわばプッチーニ的なオテロだ━━と言いたいところだが、それゆえ「泣かせる演技」ではあるだろう。現に、上階席で聴いていた知人の話では、泣いていた女性も何人かいた、ということである。

 デズデーモナの安藤赴美子は、第2幕あたりから調子を上げ、第3幕のオテロと劇的な応酬では歌唱も演技も見事な昂揚を示し、その勢いを第4幕の最大の聴かせどころまで保ち続けた。先年の「びわ湖/神奈川」の「タンホイザー」で聴かせたような、あの見事な歌唱を今回も示してくれた、と言って間違いなかろう。

 堀内康雄の演技は、今回はやはりイタリア・オペラ的スタイルに終始したような印象である。声の伸びと量感が昔ほどではなく、そのため凄味に不足したのは残念だったが、第3幕の幕切れでここぞとばかり朗々と大見得を切ったあたりは、さすがベテランの本領というべきか。
 池田香織はエミーリアを手堅く演じたが、少々控えめに過ぎたかもしれない。━━総じて昨日と同様、主役たちは非常に緻密な舞台を演じていた。第1幕のカッシオらの乱闘シーンなど、なかなかの迫力だったと思う。オペラ歌手はアスリートだ・・・・とはよくいったものである。

 カーテンコールでは、パロンビがひとりで仕切りまくっていた。歌手たちの挨拶だけでなく、指揮者をもそろそろ呼びに行かせなさいよ、と客席では思っているのに、彼が真ん中に立って両側の歌手の手をつかみ、それを上げたり下げたりして、率先して延々とカーテンコールを続けている。最後は新婚旅行さながらにデズデーモナを抱き上げて出てきたのには、客席も大爆笑。

 今回の「オテロ」、成功であった。

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