2017-08

3・9(月)田中祐子指揮日本フィルハーモニー交響楽団

   東京芸術劇場コンサートホール  7時

 本来なら、5日には東京でキット・アームストロングのリサイタルを、6日には名古屋でスワロフスキー指揮のセントラル愛知響の演奏会を、また7日と8日にはびわ湖ホールで「オテロ」を━━という予定だったのだが、持病(?)の尿管結石が来たりしたこともあって、全て棒に振ってしまった。
 この結石というやつは、やったことのある人なら、その名を聞いただけで顔をしかめるはずだが、痛みが30分以上も続いて一段落するまでは、ただもう脂汗を流して七転八倒するしかない、というシロモノなのだ。これまでの何度かの経験から、痛みが始まったらすぐに水をガブガブ飲むと多少は楽(石が少しは動くのか? どうでしょう、この手は?)という素人療法を自己開発していたので、今回は三転四倒?程度で、辛うじて食い止めた。が、事後2、3日は気をつけなければならぬという経験則で、自粛していたというわけである。

 それで━━本題だが、今日はやっと池袋まで出かける。「都民芸術フェスティバル」参加公演で、主催は日本演奏連盟。満席の盛況。

 田中祐子の指揮を聴くのは、私は実は今回が初めてである。
 東京音大と東京藝大に学び、数年前のブザンソンとショルティの各国際指揮者コンクールでセミ・ファイナリストになった経歴を持つ人だ。お歳を言っては失礼ながら、ご本人の公式サイトではすでに公開されているので━━30代半ばの美女である。
 動作はきびきびしていて、ステージでの雰囲気は、いかにも若い女性らしく明るい。小柄に見えるけれども、オーケストラから引き出す音は、すこぶる骨太で力強く、しかも開放的なエネルギーを備えている。

 今日演奏されたのは、プロコフィエフの「古典交響曲」、モーツァルトの「ピアノ協奏曲第26番《戴冠式》」(ソリストは横山幸雄)および「交響曲第40番」。アンコールには、同じモーツァルトの「交響曲第1番」からの第3楽章(フィナーレ)が演奏された。
 プロコフィエフでは、ホルンにちょっとアクセントをつけたりクレッシェンドさせたりするなど、デュナミークの構築に神経を行き届かせた指揮で、これはなかなかやるなと思わせたが、そのあとのモーツァルトは、むしろ正確なテンポを守り、極めて率直な音楽のつくりで、最後まで押し切った。
 ただそれが、決して単調なものにならず、特に「第40番」ではフォルテとピアノとを際立たせ、デュナミークの対比を明確にして、音楽にメリハリを生じさせていたのは、好ましい特徴だろう。

 どの曲でも低音域をしっかりと響かせ、かなり重心のある演奏をつくっていたが、その「40番」では柔らかく厚みのある響きというスタイルのアプローチを試みていたのも印象に残った。
 弦を前面に引き出し、管はその彼方から多少エコー的に━━あまり明晰な音にせぬままに━━響かせるというのも、彼女の音づくりの癖なのだろうか。師事した先生が尾高、広上、高関、汐澤といった人たちだから、モーツァルトをピリオド楽器スタイルで演奏するという方法を採らないのも、当然かもしれない。それはそれでいいだろう。

 とにかく、今日の彼女の指揮を聴いた範囲では、その演奏は、極めて調和が取れ、まとまりが良い。日本人の国民性を具現したような指揮とも言うべきか。
 しかし、欲を言えば、今一つ個性的な何か━━聴き手の心をもう一つ強く掴み取るものが欲しいところだ。アクの強さなども、あっていいのではと思う。間もなく藤原歌劇団の「椿姫」を振ってオペラ・デビューをするというから、期待しよう。

コメント

東条さんのびわ湖のオテロ評が知りたかったので残念です。
でも、聴けなかったとはっきり仰って良かったです(某紙付某関西評論家は、聴いてもないのに書いてる事もあるとか囁かれてますが、東条さんはそんな事は絶対にされませんから)。
東条評の重要さを改めて痛感です。お大事になさって下さいね。

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