2017-08

2・22(日)山田和樹指揮日本フィル マーラー・ツィクルス第2回

     オーチャードホール  3時

 天井近くの立ち見用バルコン席にいたるまでぎっしり詰まった完売満席のホール。物凄い人気だ。長時間の演奏の間さえ、すべての聴衆が息をつめて音楽に集中し、会場全体が並外れた緊張に包まれている━━といった雰囲気である。

 第2回の今日は、交響曲第2番「復活」。
 前回の「巨人」の時とは比較にならぬほどの充実した演奏であった。日本フィルも前回の緊張から解放されたのか、極めて密度の濃い演奏を聴かせてくれた。何度も繰り返される怒号絶叫の個所においてさえ、各パートの楽器の均衡は全く失われず、音色も混濁することがない。
 ここぞという演奏会でこれだけの演奏を可能にするのだから、日本フィルの好調さは、やはり紛れもないと言えるだろう。

 それにしても、オーケストラをここまで制御してみせる山田和樹の力量は、まさに並々ならぬものだ。音楽の宏大な拡がり、納得のゆく安定したテンポ、演奏にあふれる緊迫感など、見事なものである。第1楽章冒頭、トレモロの下にチェロとコントラバスがモティーフを断続しながら荒々しく反復する個所━━そこからもう生きた「間」が感じられて、鋭い緊張感が生まれ、聴き手をとりこにしてしまう。

 彼が求めるマーラー像も、今回はある程度明確に感じとれたような気がする━━といってもこれは、あくまで私なりの受け取り方にすぎないが、それは、いかにも若々しい、未来への希望を燃える純粋な青年の活力、といったマーラーだろうか? 
 この「復活」を作曲した頃のマーラーは未だ若かったし、「青年作曲家が問いかける生の意味」としての、こういう健康なマーラー像があってもいいだろう。

 協演の合唱は、東京混声合唱団と武蔵野合唱団。伸びの良い明晰なコーラスで、好感が持てた。
 声楽ソロは林正子(ソプラノ)と清水華澄(メゾ・ソプラノ)。実は今日の演奏で唯一残念だったのは、このソプラノ・ソロである。第5楽章でソロが最初に入る個所━━ここは合唱の中から清らかな息吹が立ちのぼってくるかのように、ソプラノ・ソロが柔らかくスーッと浮かび上がるように歌われるべきはずなのに、彼女が妙に乱暴に入って来たので、音楽がそこだけガクンと乱れてしまったのである。林正子ともあろう人が、どうしたはずみか。また歌唱の最中に、オペラでもないのにやたら両手を拡げたり上げたりするのは、聴いている方では気が散って仕方がない。
 その点、じっくりと落ち着いて、コンサートらしく安定した歌唱と立ち姿で決めた清水華澄は好かった。

 ところで、マーラーの前に演奏される武満徹の作品は、今日は無伴奏の混声合唱曲5曲だった。東京混声合唱団が歌う「小さな部屋で」「○(マル)と△(サンカク)の歌」「死んだ男の残したものは」などである。
 いろいろな指揮者によるマーラー・ツィクルスでは、これまでさまざまな作品が組み合わされてきたものだが、それらはたいていオーケストラ曲であって、今回のような無伴奏の混声合唱曲というのは、珍しい例ではなかろうか。東京混声合唱団の音楽監督が山田和樹であることから生まれた企画であろう。美しい合唱曲である。

 なお、最後の「小さな空」の終り近く、合唱の上に、だれかが下手くそな口笛で、同じメロディを吹いてかぶせていた。終演後に武満さんのご家族にたしかめたら、「あれ、ナマの演奏の時にはよくやってるわよ。ああやってもいいんじゃない?って徹さんが言ったらしいわ」だそうである。
 私は実は初めてその「口笛共演版」を聴いたのだが、甚だ気に入らない。あれでは、折角の綺麗なメロディとハーモニーが台無しだ。・・・・上手い口笛だったら、もう少しマシかもしれないが。失礼、あれは合唱団の中の方がお吹きになっていたそうで。

コメント

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口笛のメロディーは楽譜に明確に記譜されています。テノール・ソロのファルセット、または口笛という指定です。

あのソプラノは何もわかってないのでは。復活をうたわないで欲しいです。あり得ない。

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