2017-10

2・18(水)パーヴォ・ヤルヴィ指揮NHK交響楽団B定期

   サントリーホール  7時

 今秋から首席指揮者になるパーヴォ・ヤルヴィとの注目の定期。
 R・シュトラウスの「ドン・ファン」と「英雄の生涯」を前後に置き、中をモーツァルトの「ピアノ協奏曲第25番」(ソリストはピオトル・アンデルジェフスキ)で固めたプログラムは魅力的だ。

 パーヴォ・ヤルヴィは、組む相手のオケによって音楽のスタイルを変える指揮者であることは周知のとおり。したがってN響をどう引っ張って行くかが、われわれの第一の関心事だ。

 ただし、今日の演奏を聴いた限りでは、それが明快に示されていたとは言いがたい。特にシュトラウスの2曲は、比較的ストレートなアプローチで、エネルギッシュな活力に富んでいたことはたしかだが、パーヴォならではというような強い主張は、私には未だ感じられなかった。疾風怒濤のごとき「英雄の生涯」は、N響の技術的な巧さもあって、それなりにスリリングなものだったが、「英雄の戦い」の部分などは、勢いに任せた、単なる怒号狂乱だけに留まっているという印象も受けたのである。

 その点、面白かったのは、むしろモーツァルトだった。オーケストラの音色には、N響にしては珍しいほどの不思議な透明さと軽やかさが聞かれ、アンデルジェフスキの鮮明清澄な、鋭い感性に研ぎ澄まされたソロとともに、新鮮な印象を与えてくれた。
 そういえば、20年近く前、未だパーヴォが今ほど有名でなかった時代━━90年代半ばだったか、彼を客演指揮者に迎えた東京交響楽団が、素晴らしく切れ味鋭いピリオド楽器スタイルのモーツァルトのシンフォニーを演奏していたことを思い出す。
 日本のオケは、モーツァルトなど古典の音楽を手がけた時には、指揮者のスタイルに柔軟な順応性を示すのかもしれない。

 まあ、いずれにせよ、いろいろなレパートリーにおけるパーヴォとN響の本当にイキの合った演奏が聴けるのは、これからだろう。とにかく今日の演奏は、N響としては久しぶりに「きらきらと輝く」ものであったことはたしかで、それさえあれば、まず第1弾としては充分であると思われる。

コメント

二日目を聴きました

寒い雨の最悪コンディションだった初日は、家でFMライブ中継を聴きました。前半は兎も角として、後半の印象は、取り立てて強くはありませんでした。それは必ずしも「らじる」で聴いいたからという理由からではありません。

逆に陽気に恵まれた二日目をホールで聴きました。「ドン・ファン」は響きが荒れているなと思う程に、力のこもったパーヴォの心意気に驚きました。この日は何か"賭けている"ものがあるに違いない、と予感させるに充分でした。

ステージには所狭しとマイクが並び、本格的レコーディングセッションが組まれていました。たぶんこの二日目の演奏を中心に、初日やゲネプロなど他のいくつかのテイクを繋いでCD化が為されると思います。これまでも数多くの名録音で聴き手を唸らせてきた録音制作の巧いパーヴォですから、今回もリリース価値のあるものになることでしょう。

尚、「ドン・ファン」と「英雄の生涯」の組合せで、CDリリースの予定は9月になる模様です。

総体的に優れた演奏でしたが、一例を挙げれば第5部『英雄の業績』。ここではシュトラウスの過去の作品、「ドンファン」「ティル」「死と変容」「ツァラ」「ドンキホーテ」「マクベス」などからの引用が、きわめて複雑な書法によって変容され、現れては消えてゆく。その多彩さとその明確な描き分けが実に見事に行われていました。また第6部の『英雄の引退と死』でも、この曲のモデルとなったのがベートーヴェン「英雄交響曲」であることを示唆するベートーヴェンからの引用までもがハッキリと現れるのです。

こうした初日より一層強く踏み込んだ表現の「英雄の生涯」に、私は、そして会場全体は満足しました。演奏が終わってパーヴォが腕を下しても、会場は静寂のまま誰も拍手しようとしない。況やフライングブラボーなど皆無。皆があの最後の思いの籠った深い響きを追憶しているかのようでした。遂にパーヴォが耐え切れず(?)自分から拍手を初めて、やっと会場が怒涛の如き拍手に包まれたのでした。これは初日には無かったことでした。

B定期の会員は耳の肥えた聴き手も少なからず居るので、この秀演に即反応したのでしょう。先月のノセダ指揮B定期に続いて、行って良かったB定期でした。嘗て幾多の人気CDをリリースし、録音の世界では既にドル箱的存在となっているパーヴォ・ヤルヴィを得て、N響久方ぶりの名盤誕生です。

因みに録音はされませんでしたが、モーツアルト「ピアノ協奏曲第25番」も見事。
演奏機会は少ないものの、大作にして傑作。第24番と並ぶモーツアルトの協奏曲最大の規模を持つ、堂々たる傑作協奏曲です。この日の編成は10-8-6-4-3の10型。管楽器は2管編成でオーボエ、ファゴット、ホルン、トランペット各2本。但し何故かフルートは1本だけ。フルート以上にモーツアルトが好きで無かったトランペットは2本も使っているのに、です。

ピョートル・アンデルジェフスキは優れた技巧を駆使して、ユニークな現代の新しいモーツアルト表現でこの曲の新境地を聴かせてくれました。旧来の、玉を転がすような優美な響きなど微塵もなく、深く強いタッチのピリピリしたきわめて美しい響きと、モーツアルトが書き残したあらゆるニュアンスを探し出し、そのすべてを込めたピアニズム。小川典子のモーツアルト表現に似た、新時代のモーツアルトです。

ところでこの曲にはモーツアルトはカデンツァを書き残していません。
この日ピョートル・アンデルジェフスキが弾いたカデンツァは、大層立派で長いものでした。誰の作かは分かりませんが、この曲に相応しい傑作カデンツァです。

お手並み拝見

ここ数年の来日公演の一部と、先のNHKホールでの2プログラムの内容から折込済ではあったものの、シュトラウスは響きも口調も支離滅裂、モーツァルトに至ってはひどくとんちんかんに聞こえた(ソリスト氏とは元々波長が合わないこともあり)。呼吸や間合いといった体内時計的な感覚も、自分が最適と感じる値よりも常に短く浅く早いことを再確認。それはそれとしても。

私は曲の世界にトリップするためにここに座っているのであって、指揮者を映す忠実な鏡を見に来ているわけじゃない。演奏者の技術って、従うためだけじゃなくて、こうした局面を打破するために使ってみてもいいんじゃないのかな。いや使おうよ。お願いだから使ってよ。今使わなくていつ使うの。耳を澄ませて、呼吸を合わせて、さあ美しいシュトラウスの音を。そんなことを念じながら聴いていた。

個人的にはテンポと音量とアクセントで押し切られるより、調った音響と自然なフレーズ感で聴かせてくれる指揮者が好きです。今シーズンで言えば、ブロムシュテットさん、サンティさん、ノセダさん。どのプログラムでも、アーティスティックな完成度としなやかな情緒が共存していました。パーヴォさんとの公演でそう感じさせてくれる日が来るのかどうか、N響さんのお手並み拝見♪というところです。

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