2017-08

1・24(土)山田和樹指揮日本フィル マーラー・ツィクルス第1回

     オーチャードホール  3時

 また咳が出始めたため、周囲への迷惑を恐れて22日のジャナンドレア・ノセダ指揮のN響と、23日の都響の「一柳慧の第9交響曲初演」を棒に振ったのは痛恨事だったが、今日はなんとか午前中に早稲田大学エクステンション・センターでのオペラ入門講座(第3日)をこなし、次いでこの「ヤマカズのマーラー」初回を聴きに行く。

 今回の山田和樹&日本フィルのマーラー・ツィクルスは、2017年6月までの3年がかりのもので、交響曲の全9曲を演奏する。
 組み合わせるのはすべて武満徹の作品で、この選曲は、いいアイディアだろう。音楽の上でのいろいろな意味での関連性と、もうひとつは、日本の指揮者とオーケストラが行なうツィクルス━━という点においてである。

 今日の1曲目は、武満徹の30分近い長大な作品「オリオンとプレアデス」。静謐さと、透明感と、澄んだ色彩とが交錯するこの曲を、山田と日本フィルが素晴らしく再現してくれた。
 チェロのソロを菊地知也が受け持ってのこの演奏、眼を閉じて聴いていると、無限の空間の中にチェロ(もしくは何か不思議なもの)が浮遊しているような、形容しがたい夢幻の世界に引き込まれるような感に襲われ、はっとしてしまった瞬間がある。

 マーラーの「交響曲第1番《巨人》」は、一般に演奏される「現行版」でなく、「1893年ハンブルク版」が使われると予告されていた。
 ただし、プレトークでのマエストロ山田の解説によれば、今回演奏するのは、以前にあった「ハンブルク稿」の楽譜(手稿)ではなく、「第2ハンブルク版」ともいうべき、「改訂されたハンブルク稿」で、すでに印刷された楽譜であるとのこと。

 なるほど、実際に演奏を聴いてみると、かつて若杉弘と東京都響の演奏で聴き、現行版とのあまりの違いに衝撃を受けた「ハンブルク稿」(フォンテックからライヴCDが出ていた)とは全く違う。「花の章」は入っているものの、他の4つの楽章はむしろ現行版に近い形状という印象を受ける。
 ただ、このオーチャードホールは、1階席中央で聴くと非常に残響が多く、オーケストラ全体が飽和的な音になるため、細部が判り難いきらいもあるのだが━━。

 結局これは、先頃ヘンゲルブロックの指揮で出たCD(ソニークラシカル SICC30169)で演奏されていたものと同じ版で、早く言えばマーラーが「ハンブルク稿」を演奏したあとに改訂した版━━であるとのこと。印刷された楽譜には「UNIVERSAL」の表紙がついており、間もなく国際マーラー協会から正式出版されるとも聞いた。

 演奏そのものは、極めて瑞々しく、宏大な趣を備えたものだった。それは引き締まって切迫した、神経質な情熱を感じさせる演奏というよりは、情熱的だが大らかな、波のうねりの如きダイナミックな流動性を感じさせる演奏だった。
 少なくとも私には今のところ、山田和樹が打ち立てようとしているマーラー像がどのようなものであるかは、未だ明確に把握できていない。このあとのツィクルス━━2月22日の「2番」、28日の「3番」を聴いてみれば、だんだん解って来るだろう。だが、今後に大きな期待を持たせる第1回の「巨人」であったことは疑いない。

 オーケストラは、すこぶる素晴らしかった。その中でも、「花の章」で美しいソロを聴かせたトランペットのオッタヴィアーノ・クリストーフォリを筆頭として、ホルン群、フルートやオーボエのソロ、コントラバスのソロ、ヴィオラ群(第4楽章)には、とりわけ大きな拍手を贈りたい。「日本フィルは、今日は一致団結」(終演後の袖でのマエストロ山田談)だったのである。

 客席は満杯。「ヤマカズのマーラー」がいかに大きな注目を集めているかが判る。ただし、カーテンコールでは、山田和樹への拍手とブラヴォ―に混じってピーピー口笛を吹き鳴らす輩がいた。彼のファンの中にそういう手合いがいるのかと思うと、ちょっと複雑な気持になる。

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