2017-10

12・10(水)パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィル・ブレーメン
「ブラームス・シンフォニック・クロノロジー」第1日

     東京オペラシティコンサートホール  7時

 昨日のシンポジウムでは、外国勢の批評家たち━━マーク・スウェッド(米)、アンドリュー・クレメンツ(英)、エレオノーレ・ビュニング(独)、アントワーヌ・ペクール(仏)━━が、「日本のオーケストラは、演奏に活気が、楽員に自発性と積極性が不足している」と、ほぼ一致して指摘していた。

 詳細をここで報告する時間も余裕もないが、しかし彼らが西欧のオケの基準と比較して指摘するさまざまな「問題点」の中には、日本的な「特徴」━━緻密さ、均質性、叙情性などを含む━━も混じっているはずであり、いつの日かそれらの特徴が「美点」として世界のオーケストラ界に重要な発言権を持てる時代が来る可能性もあるのではないか、というのが、席上で私が行なった反論の趣旨だった。
 ただしこれには、隣に座っていたクラシック音楽新興国のアメリカのスウェッド氏だけは「全面的に賛成するよ」とささやいてくれたが、長い伝統を誇る独・仏・英の御三方は、「さあて、どうかなあ」という顔つき。。

 それはともかく、その点から言えば、今日のドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメンなどは、その「活気」と「自発性」のカタマリみたいなオーケストラであることは間違いなかろう。楽員たちが全身で弾き、吹き、叩くステージでの姿も壮烈だ。
 聞くところによると、リハーサルでは、楽員たちは、指揮者に完全服従するよりも、自分たちであれこれ議論しあう。そしてメンデルゾーンの「ヴァイオリン協奏曲」のような有名な曲をやる時でさえも、ゲネプロが終ってからもまだ議論を続けているのだという(ビューニング女史、読売新聞記者・松本氏らの話による)。

 今日のプログラムは、ブラームス・ツィクルスの第1日で、「ピアノ協奏曲第1番」(ソロはラルス・フォークト)と「交響曲第1番」だったが、とにかく強烈な活力とエネルギーに満ちた演奏である。
 特に交響曲の方は、冒頭の序奏からしてアジタート(激して)な趣であり(スコアの指定はUn poco sostenutoという、およそ正反対のイメージ)、そのあとも全曲にわたり、すこぶる攻撃的な演奏になっていた。

 これを聴くと、ブラームスという人が、謹厳実直で保守的な作曲家どころか、むしろ大胆先鋭で革新的な気魄にあふれた作曲家に感じられ、「たたかうブラームス」といったイメージすら湧き起こって来る。たしかにこの壮大な交響曲には、そういった激しい解釈をも可能にする要素が充分に内蔵されているのではないか。これを完成した時のブラームスは43歳、まだ壮年の時期だったのだ。そこに着目したパーヴォ・ヤルヴィは、やはりただものではない。

 「ピアノ協奏曲第1番」の作曲時期は、さらに若く、20代後半である。青年の若き情熱をいっぱいにぶつけた作品だ。今日のパーヴォ、カンマーフィル、フォークトの演奏も、それにふさわしいものだった。
 この協奏曲の冒頭はティンパニの猛烈な連打で始まるが、パーヴォは、交響曲の冒頭で連打されるティンパニのリズムをも、他の全管弦楽を圧するほどの音量でクローズアップしていた。「第1協奏曲」と「第1交響曲」とは、パーヴォの解釈の中で、こうして完全な「対」の作品として位置づけられているのではなかろうか。
     ⇒モーストリー・クラシック3月号 公演Reviews

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