2017-08

11・4(火)マーティン・ブラビンズ指揮東京都交響楽団の英国プロ2

     東京芸術劇場コンサートホール  7時

 10月20日に続く、ブラビンズと東京都響の英国プロ。今日はヴォーン・ウィリアムズの「ノーフォーク狂詩曲第2番」(1906年完成)、ディーリアスの「ヴァイオリン協奏曲」(1916)、ウォルトンの「交響曲第1番」(1935)。

 ホールと、聴いた席の位置(2階正面最前列)の所為もあってか、都響としては、前回のサントリーホールの時とは些か異なる、総じて硬質な音色の演奏という印象。ではあったが、3人の英国の作曲家の魅力は、充分に愉しめた。

 「ノーフォーク狂詩曲第2番」は、自筆譜の脱落していた僅かな個所(スケルツォの直前の個所とのこと)を、スティーヴン・ホッガーが補作した版で演奏された。これまで英国外での演奏は認められなかったが、今回は「都響からの強いアプローチにより」演奏できたとのこと。「国外初演」になる。よくそこまで漕ぎつけたものだ。
 冒頭がチェロの上行音で始まり、まるで「ウィリアム・テル」序曲の開始部にそっくりなのには苦笑させられるが、実に美しい曲で、不思議な懐かしさのような感情に引き込まれる。陶酔的な作品だ。

 ディーリアスの「ヴァイオリン協奏曲」では、英国の女性奏者クロエ・ハンスリップがソリストに迎えられていた。以前より更にふっくらとした容姿になったと見えたが、その演奏も以前よりずっと野太く逞しくなったのではないか。ディーリアスの協奏曲が、いつもの叙情的で流麗なイメージよりも、不思議にごつごつした、硬派の姿として聞こえた。それはむしろ新鮮で、興味深く感じられる。

 ウォルトンの「第1交響曲」の、特に第1楽章は━━私の好きなシベリウスの「レミンカイネンとサーリの乙女たち」そっくりの表情に、ブルックナーの「第3交響曲」第1楽章のクレッシェンド手法を加味したような雰囲気があって面白い。また全曲いたるところに、プロコフィエフの「鉄と鋼の作風の時代」のオーケストラを思わせる、攻撃的で硬質な響きも聴かれる。
 といっても、ウォルトンのこの作品が、単なる寄せ集めのものという意味ではない。それらの影響を色濃く受けながらも彼独特の押しの強い世界をつくり上げたということなのである。また随所に出て来るホルン群には、彼の映画音楽「リチャード3世」とも共通する響きが聴かれて、これも何か愉しい思いにさせられる。

 ブラビンズの指揮には、ここでも節度と均衡が保たれている。第1楽章終結などは、かつて若きプレヴィンがロンドン響との録音で聴かせたようなダイナミックな熱狂とは異なる、もっと落ち着いた演奏である。しかしそれでも、全曲におけるウォルトンの音楽の強靭な力は、充分に浮き彫りにされていた。

 聞けば、この難曲ぶりには、流石の東京都響も手を焼いたとのこと。だが、それは単に、この曲に慣れていなかったためだろう。第1楽章など、あの独特のリズムが何か生硬で座りが悪い気もしたものの、第1楽章途中から突如弦の音色がいつもの都響のそれを取り戻し、全体の響きも安定してきたように感じられた。第3楽章での弦の美しさも印象的であった。

 「第1交響曲」が終った後の上層階からのブラヴォーの声は一際盛んなものだった。ブラビンズの英国ものは、東京のファンの心をすっかりとりこにしたようである。

コメント

私もB定期に続きA定期も聴きました。今年は都響に出かけるのはこれが最後。来年は1月の下野竜也指揮A定期を聴きます。これも注目のプログラムと指揮ですから。

今回は珍しくも先生と同じ2階正面席で聴きましたが、1階とかなり違う響きに驚きました。ティンパニをはじめ金管や打楽器などのパルシヴな楽器の音が、オケの本来のバランスを変えるほどに、一層鋭く飛んできます。特にブラスが強く活躍するウォルトンでは、オケの響きが硬質と云うか金属的な響きを強めていて閉口しました。豊潤さがあまり感じられないのです。都響のヴァイオリンの響きがいつにも増して薄く事務的に聴こえるのも、2階席の所為でしょうか。折角ブラビンズのウォルトンが聴けるというのに残念でした。1階の中央ブロックならば多少は素直な音質に聴こえたことでしょう。

それでも全体の響きのバランスが整っていたのは、ひとえにブラビンズの手腕でしょう。そのバランスの良さはプログラミングにも云えることで、私たち日本人が一般的に受け止めている"英国的な"ざっと諸相を並べていたことも印象的でした。

ヴォーン・ウィリアムズでは私たちが何となく想像している英国の自然と光景が、ディーリアスではオケとソロが「和すれど同ぜず」と云った一定の距離を保ちながら互いの個性を尊重する精神態度が、美しく響いていました。そしてウォルトンでは20世紀の英国を代表する純粋音楽としての交響曲が高らかに鳴り響くといった具合に。「2時間で知る英国案内」を聴く思いがしました。

しかし英国人は、例えばお互いの個性の許容範囲は驚くほど広く、村社会の横並び意識が最優先する日本人のそれとは比べ物になりません。今回の2つの定期で示された6つの英国音楽の個性は、英国人が持つ個性のホンの一部の一部に過ぎないことは事実です。私が出会った中で変人としか思えない英国人は、背中のリュックに2メートル近い蛍光灯を括り付けて日本の各地を旅する英国人。その異様な姿に驚いて、何故そんなものを担いで旅行するのかと訊くと、珍しい物を秋葉原で見つけたから、とのこと。確認のために英国のキャリア外交官に訊ねましたら「ホンの少し変わっているけれど、英国人としてほ変人ではまったくない普通の人間」とのこと。そういう英国の音楽を表現するには、都響の響きと性格は余りにも個性に乏しく事務的に聴こえたのは私だけでしょうか。私がいつも都響に抱く退屈さの正体でもあります。

兎にも角にも、ブラビンズに尽きる2つの都響定期でした。彼の指揮姿を見ているだけでも、素晴らしい「音楽」を眺めた気がしています。

LSOやPOが来日公演で今夜のような演目をやってくれることはまずないわけで、本当に有難い一夜でした。1階中央やや後方で聴く限りでは、音は鋭角的という感じはあまりなく、ソリストの音もオケによく溶け込んで、至福のディーリアス・サウンドを満喫することができました。この曲をレパートリーにしているヴァイオリニストは稀少でしょう。良いソリストを選んでくれたものです。

ウォルトンも東条先生のおっしゃるように、最初こそぎこちない感じでしたが、直ぐにアンサンブルが良くなり、対位法的な動きも良く聴きとれて快演!。あのタフなホルンパートをアシスタントなしで吹いてくれました。
このコンビで人生のミサとか、バックス(3、5、6番あたり)を実演で聴かせてほしいと願います。

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