2020-07

7・11(金)秋山和慶指揮広島交響楽団

   広島文化学園HBGホール  6時45分

 音楽監督・常任指揮者の秋山和慶が振る広島交響楽団の定期を聴くのは、あの「トゥーランガリラ交響曲」の広島初演以来、2年ぶりだ。

 モーツァルトの「アダージョとフーガ」で幕を開けたが、その明晰な、きりりと引き締まった弦の音色が、なんとも快い。いかにも秋山和慶らしく緻密な、隙のないアンサンブルである。
 今日は新任のコンサートマスター2人━━第1コンサートマスターの佐久間聡一、コンサートミストレスの蔵川瑠美━━がトップに並んで座っており、弦の充実も更に、というわけであろう。チェロなど低弦も明晰で、これもまた聴いていて気持がよい。

 2曲目には同じモーツァルトの「踊れ、喜べ、汝幸いなる魂よ」が、小林沙羅の清純なソプラノ・ソロを迎えて演奏され、ここでも端整で清澄な音色が際立っていた。
 残響の少ないこのホールには、秋山のこのような引き締まった構築の音がとりわけよく似合うようである。

 後半は、マーラーの「第4交響曲」。予想されたとおり、これも端然たる佇まいのマーラーだ。不安定な心の動きは整理され、むしろ古典的な造型の中に構築された「4番」とでも言うか。テンポやアゴーギグは決して硬直したものではないが、ホールのドライなアコースティックのせいもあって、音楽が冷静怜悧なほど端整なつくりに聞こえる。
 あまりに整理され過ぎたマーラーという印象もなくはないが、あれこれいじり過ぎた神経質でヒステリックなマーラーでなく、何の衒いもなく率直な、飾り気のないすっきりしたマーラー像というのも、それはそれで興味深いものがある。

 終楽章では小林沙羅が再び登場、「子供が歌う天上の生活の物語」にしては、些かリアルで華やかな歌唱に終始したようだ。もっともこれは、いわば「叙事詩化された」演奏に追加された明るいエピローグ━━と解釈すればいいのかも。

 今回は、ソプラノ歌手は、第4楽章の軽やかな主題が始まってから舞台に登場した。これは、この曲での最もオーソドックスな入場のタイミングであり、いかにも秋山和慶らしいとも言えよう。
 余談だが、指揮者によって、この入場のきっかけはまちまちだ(指揮者以外のスタッフが決めることもあるらしい)。しかし実はこれが聴衆に与える劇的な光景としての演出効果は、非常に大きなものがある。
 たとえば、第3楽章の最後の静かな音楽の中でそっと出て来る、という演出もあるが、これは静謐な音楽の美しさを妨げることにもあり、あまり良い方法とは思えない。
 一方、何人かの指揮者がやる、第3楽章でのあの突然の全管弦楽の大爆発とともにソプラノを登場させる手法は、最もドラマティックな舞台効果だろう。ここから違う世界が始まる、という気分的効果を生むことはたしかである。ただその代わり、指揮者の横に立っている女性歌手の姿が聴衆の気を散らせ、この楽章の最後の美しい音楽の印象を薄れさせることになるかもしれないが。

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