2019-05

6・10(火)パトリツィア・コパチンスカヤ&コンスタンチン・リフシッツ

    トッパンホール  7時

 C・P・E・バッハの「幻想曲嬰ヘ短調Wq80」、シマノフスキの「神話」、シェーンベルクの「幻想曲」、プロコフィエフの「ソナタ第1番」。

 1曲目で、コパチンスカヤは、ピアノの向こう側(ステージ奥)に立った。これは意外な光景ではあったが、曲の性格を考えれば、主役はピアノで、ヴァイオリンはオブリガート(助奏)の立場を採るという解釈だったことは容易く推察できるだろう。事実、1曲目の演奏後に、コパチンスカヤ自身がそのわけを説明していた━━「ピアノはソリスト、ヴァイオリンはシャドウ(影)です」と。なんでもこれは、アンドラーシュ・シフがやった手法に倣ったものだとか。
 2曲目のシマノフスキからは、ヴァイオリンがステージ前方に出る正規のスタイルで演奏されていた。

 だがいずれにせよ、どの作品でも、リフシッツのピアノが、あまりに音量過剰である。
 たしかに、コパチンスカヤのヴァイオリンも極めて鋭角的であり、ヴァイオリンと格闘するかのような演奏姿をはじめ、良い意味での攻撃的な性格を備えている。この楽器の持つ美音に全くこだわらず、その表現力と機能を究極の段階まで追求するような演奏である。それゆえ、リフシッツが一歩も退かずに攻撃的な音楽をつくるというのは、ある意味では当然のことであろう。

 だがそれにしても、彼の演奏は、無神経なほどに怒号咆哮し過ぎるのではないか? 何年か前、このホールで彼がリサイタルをやった時の、楽器もろともホールを破壊せんばかりだった大音響の悪夢の記憶が蘇る。
 思えば、私は彼が少年時代の22年前、モスクワの教室でスクリャービンを弾いた時の陰影の濃い演奏に驚嘆し、すっかり惚れ込んだ。そしてそれ以来、何度かチラシやプログラムの原稿を書いたりして、肩入れしたこともある。だが、こういう調子でやられては、もう閉口だ。
 彼の、低音域での独特の暗い音色と凄みのある表情は非常に魅力的なのだが・・・・また先年、樫本大進とデュオをやった時には、もう少し節度のある演奏をしていたはずだが・・・・。

 そんなわけで、コパチンスカヤの個性的な魅力に富んだ音楽を、リフシッツの苛立たしい轟音の中から選び出して聴くのは、いささか骨の折れることであった。

コメント

リフシッツ氏を聴くのは初めてで、確かにあのホールであそこまで鳴らすピアニストは少数派ではあるでしょうが、無神経とは全く思いませんでした。むしろ逆。同調にしろ暗転にしろ呼吸のタイミングはぴったり合っていたかと。コパチンスカヤ姐さん相手に「従」でいられても正直面白くないですし(オーケストラの場合でも同じ)、個性の異なる音同士の丁々発止のセッションとして私は楽しみました。特にプロコフィエフは今後あれ以上の演奏を聴ける気がしません。席は前方ブロック舞台上手寄り。後方ブロック中央あたりではピアノの音がダイレクトに来すぎるということなのでしょうか。

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