2019-05

11・23(土)チョン・ミョンフン指揮「トリスタンとイゾルデ」演奏会形式

       BUNKAMURAオーチャードホール  3時

 これは東京フィルハーモニー交響楽団の定期公演。Wagner Memorial Year in Japanの掉尾を飾る大イベントだ。演奏会形式ではあるが、非常に力のこもった上演であった。

 主演陣は、トリスタンをアンドレアス・シャーガー、イゾルデをイルムガルト・フィルスマイアー、クルヴェナールをクリストファー・モールトマン、ブランゲーネをエカテリーナ・グバノヴァ、マルケ王をミハイル・ペトレンコ。脇役陣は日本勢で、メーロトを大槻孝志、舵手を成田博之、牧人と水夫を望月哲也。それに新国立劇場合唱団。

 演奏会形式上演というのは、なかなかいいものである。妙な身勝手な演出にうんざりの当節――ただし旧弊で平凡な演出もうんざりだが――視覚的に気を散らされることなしに、音楽そのものにどっぷりと浸ることができる。ワーグナーのオペラの音楽には、それこそ汲めども尽きぬ魅力があり、何度聴いても常に新しい発見がある。その意味でも今日は、この作品の音楽の凄さを再認識できる愉しみを味わうことができた。

 それはいいけれども、今回チョン・ミョンフンが採ったテンポは、昂揚個所では、おそろしく速い。第1幕の「愛の媚薬」を飲んだ個所から幕切れにかけてのところなど、まさに疾風怒涛だ。
 もちろん、第1幕の「前奏曲」や第2幕の「愛の2重唱」、第3幕の「前奏曲」や「トリスタンの苦悩」など、一般的に採られるテンポとして納得が行く個所も多いが、「速く」と指定されている個所が異常に速すぎるのである。
 演奏時間は、およそ77分(第1幕)、65分(第2幕、ただし2重唱の前半部分に半慣例的なカットあり)、72分(第3幕)という具合だから、全体的にやはり速いだろう(これは、今年5月25日にエッセンで聴いたシュテファン・ショルテスのテンポに匹敵する速さだ)。

 速いこと自体は、それはそれでいいかもしれない。しかし問題は、音楽に「矯め」が皆無であることだ――つまりこの演奏は、主人公たちの「ためらい」も「迷い」も描き出さないのである。「トリスタンとイゾルデ」は、そんな単純な音楽のドラマだったか? その駄目押しは、第3幕のブランゲーネの言葉が終るや否や、実にあっけなく最後の「イゾルデの愛の死」に入って行く、無造作と言ってもいいほどのテンポ運びであった。

 プログラムには、チョン・ミョンフンのコメントが引用されている(朝日新聞・吉田純子記者のインタビューを基にしたエッセイから)。それによると、チョンは自らのことを、テキスト(歌詞)には関心を持たず、専ら音楽そのものから人間の感情などを造型して行く指揮者だ、という意味のことを語っている由。
 なるほど、舞台というものは音楽の視覚的具象化である――とかいう名言を吐いたのはワーグナー自身でもあった。だが、それは一面では真理ではあるものの、別の意味では、言葉の綾でもあるだろう。音楽はもちろんドラマを主導する。しかし、作曲家はテキストに作曲するのであって、作曲したものにテキストを当てはめているのではないのである。

 とはいうものの、演奏者たちはみんな大熱演して、最善を尽くしていた。
 トリスタン役のシャーガーは、少し線は細い感はあるものの声は充分だし、純な青年ともいうべきトリスタン像をつくり上げ、第3幕での役柄への没入感を示すような歌唱はみごとだった。
 一方イゾルデ役のフィルスマイアーは、第1幕では若々しいイゾルデ像で好調だったが、第2幕以降はやや声が荒れ、速いテンポに煽られて歌唱の細部が疎かになり、しかも高音が絶叫調になって行ったのが残念だ。彼女、ちょっと無理をしているのではないかな、という危惧を抱かざるを得ぬ。

 これに対し安定していたのが、ブランゲーネ役のグバノヴァで、舞台奥から歌った「ブランゲーネの警告」は素晴らしく、最後の長い弱音までを実に明確に美しく響かせていた。マルケ王役のペトレンコは、この役には声が少し軽いのではないかと予想されたが、「あまり老人ではない、まだ血の気の多い」マルケ像として独自の個性を発揮していたと思われる。

 同等に賞賛したいのは、東京フィルハーモニー交響楽団である。厚みのある響きで、空間的な音の拡がりを充分につくり出していた。これだけの演奏ができるオーケストラなのに、新国立劇場なり東京文化会館のピットに入った時には、なぜこのような立派な演奏が生まれないのか――東京フィルの七不思議(?)の一つである。

 先ほど、「掉尾を飾る」と書いたが、今日と明日は、「あらかわバイロイト」も同じ「トリスタンとイゾルデ」をサンパール荒川大ホールで舞台上演しているはず。上演の機会のそれほど多くない作品が、かち合う時にはかち合うものだ。これも業界七不思議(!)の一つか。観に行けないのが残念。

コメント

同じコンサートを聴かせていただいた者です。歌手陣に関しては概ね同じ感想を持ちました。第2幕後半のマルケ王の独唱場面では,マルケ王役のバスが繊細な表情付けをしていたことが印象に残りました。

ハンマー・マジック炸裂!

私も、東フィル・チョンミュンフン指揮のトリイゾには、素晴らしい演奏ではあったものの、なにか満たされないものを感じました。

いろいろ考えてみたのですが、先生の評を拝見し納得しました。「ため」の少ない「先を急ぐ」演奏であったため、この作品の通奏低音、あるいは19世紀中頃という時代の空気でもある、「生」と「死」の地続きの相克が伝わってこない、20世紀後半からの「生」と「死」を峻別する文化に根ざした解釈だったのかもしれません。
両者が連続し隣り合わせの存在で、「死」とは終わりではなく、過去の記憶の堆積や歴史であるからこそ生み出される執着を描き出すのは難しいものですね。

そうした、「満たされぬ憧れ」が高じて、翌日別件をキャンセルし、あらかわに急遽駆けつけました。歌手・オケともレベルの違いは大きいのですが、マエストロ・ハンマーの指揮に一種のカタルシスを味わうことができ行って良かった!荒削りで不揃いな演奏であっただけに、かえって満たされぬ「完全」への焦燥感の気配が漂うものでした。あたかも、「生」を完全なものとして完結させる「死」へのトリスタンの憧れのように。

終演後、マエストロ・ハンマーと少しお話する機会があり、愛の死((Mild und leise wie er lächelt)をピアノでゆるやかに入って行くのはイゾルデが「向こうの世界」に次第に引き込まれていくことを、また結句(höchste Lust!)もピアノで終えるのはイゾルデが「死」の世界に合一したことを表現するのだと、はからずも語っており膝を打った次第。
もうひとこと、テキストも音楽も自作のワーグナー作品の場合、テキストとオケは相互に補完するだけでなく、相互に裏切ったり、先取りしたり、過去を振り返ったり、と切り離せないもの。「俺はドイツ人だから」と控えめに胸をはる姿に、ワーグナー好きのカペルマイスターの矜持をみた気がしました。

最後に余談ですが、あらかわの3幕、トリスタンの幻想の場で、私の隣席の70歳からみの老紳士が、座した姿勢で突然体を激しく左右前後に振りはじめた。はじめは音楽に入り込み体を動かしているのかと思っていたら、次第に尋常ではない一種の痙攣状態に(神がかりの巫女や、忘年会帰りの泥酔した酔っ払いの動き?を想像ください)。周囲にも緊張感が走りました。
プログラムに「人の亡くなることの多いトリスタン演奏」という吉田真先生のエッセイを見ていただけに、すわ心臓発作かと担ぎ出しの臨戦態勢に入るが、声をかけたら「大丈夫」との返事。しばらく様子をみるが一向治まらず、トリスタンと共に、そのまま「向こうの世界」に連れ去られるのかと思わせる症状が続き、気が気ではありませんでした。。。
幸いなことに、なんとか最後までもちこたえ、後で少し落ち着いたご本人にお伺いしたら、ある病気の薬の副作用で、平衡感覚を失って起きる症状とのことで、周囲に心配と迷惑をかけたことをしきりに謝っておられました。
トリイゾ、げに、不思議な力を持った音楽です。

重複講演が多かったせいもあるのか、いわゆるワグネリアンの少ない客席に寂しいものがありました。来年は「タンホイザー」(11/22(土)&23(日)&24(祝))とのこと、聖地あらかわの復活をサポートしたいものです。
www.tiaa-jp.com

テオリンの目ヂカラ様

ワグネリアン達がわざとまわりに聴こえる大声で、今日の歌手と指揮者はあそこがダメで、バイロイトはどうだった・・・などと休憩時にのたまっているホワイエほど、嫌なものはありませんよ。静かで良かったのでは。

遅ればせながら

遅ればせながら、良いコンサートだったと思います。
東条さんと同じく、1幕の最後は早すぎだと思います。
オケの健闘も、演奏会形式の良さも同感です。

1点、朝日新聞の記者の記事ですが、
記事の書き手の問題といいますか、
多分前後の文脈があるような気がします。
テキストテキストばかりいうもんだから、
音楽を聴いてくれ、みたいな文脈の可能性があると思います。
かつてバスティーユにいたくらいの方ですから、
言葉の重さはわかった上で、あえて、みたいなことかと・・・
それより何より、彼にはもっと日本でオペラを指揮していただいて
良し悪しを評論する機会を作って欲しいですね。

最後に、年末ですので
東条さんの「2013年を振り返って」のような
ブログをアップしていただけると嬉しいです。

以上勝手ばかり言いました。



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