2019-07

11・21(木)アンドリス・ネルソンス指揮バーミンガム市交響楽団

   東京芸術劇場コンサートホール  7時

 この日は東京芸術劇場主催の演奏会で、ワーグナーの「ローエングリン」第1幕前奏曲、シベリウスの「ヴァイオリン協奏曲」(ソロはヒラリー・ハーン)、チャイコフスキーの「第5交響曲」なるプログラム。

 いつものように2階席正面A列で聴いたのだが、「ローエングリン」前奏曲がえらく硬い音で刺々しく響いて来たので、これは反響板をオルガンの前に下ろしたせいなのかとも思った。が、そのあとの2曲ではバランスのいい響きと音色が構築されていたところをみると、それぞれネルソンスの解釈によるものだったのかもしれない(1階席後方でどう聞こえたか、興味のあるところだ)。

 チャイコフスキーの「5番」では、ネルソンスのあの一癖も二癖もある細密入念な設計が聴けるかと期待していたのだが、意外にストレートなアプローチ。もっともこの曲は、もともとテンポの動きの激しい交響曲だから、たとえネルソンスが特別な細工を試みても、スコアに指定されているテンポの変動の中に呑み込まれてしまうのだろう。
 しかし、第2楽章後半、アニマンドからピウ・モッソ、ウン・ポーコ・ピウ・アニマンド、アンダンテ・モッソ、リタルダンド、アニマンド・ウン・ポーコ、モルト・ピウ・アンダンテ・・・・目まぐるしくテンポを変えつつ頂点に向け昂揚していく個所での緊迫した音楽づくりなどでは、ネルソンスのただものではない力量が覗える。

 とはいうものの、総じて19日のブラームスの「第4交響曲」におけるような凄みは感じられず、その意味では、チトこちらの期待が大きすぎたかな、という感。

 結局、最もスリリングだったのは、ヒラリー・ハーンの弾くシベリウスのコンチェルトであった。彼女の演奏に漲る張り詰めた知的な叙情と昂揚、寸毫も隙のない音の密度、息もつかせずクライマックスに追い込んで行く構築は、まさに超人的なものに思える。この楚々とした容姿のヴァイオリニストからどうしてあんなに凄絶な音楽が生まれるのか、舌を巻かずにはいられない。
 もちろんそれは今に始まったことではないのだが、この曲でのネルソンスとバーミンガム市響の演奏も、彼女の演奏と呼応して、見事な躍動感を噴出させていた。第3楽章でのあの特徴あるリズムなど、まるで北欧の妖怪トロルが進んで来るような暗い不気味さを感じさせたのである。

 アンコール前後の進行は19日と同じ。日本語で挨拶したのはヴィオラの首席奏者だったと思うが、その日本語も、随分流暢になった。

コメント

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

全く不愉快でした。

最近、C.クライバーの亜流をよく目にする。ネルソンス、オーケストラをまとめる力量はあるのだろうが、なぜあそこまでクライバーと酷似した指揮ぶりなのか?個性から出たものとも思えない。逆に見ると、クライバーならこうしたでであろうという音楽づくりをなぞっているようで興醒めである。クライバーばりに煽っていながら、結局オーソドックスに響いてしまうのはその所為だとも思われる。クライバーの影響下を出て勝負してほしい。

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://concertdiary.blog118.fc2.com/tb.php/1785-079407db
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

«  | HOME |  »

























Since
September 13, 2007

これまでの来訪者数

最近の記事

お知らせ

●2007年7月以前のArchivesを順次、アップロード中です。併せてご覧下さい。
2007年7月
2007年6月
2007年5月
2007年4月
2007年3月
2006年7月

Category

ブログ内検索

プロフィール

リンク

News   

雑誌 モーストリー・クラシック に連載中
「東条碩夫の音楽巡礼記」