2019-05

11・10(日)アリベルト・ライマン:オペラ「リア」

    日生劇場  2時

 日生劇場開場50周年、読売日本交響楽団創立50周年、二期会創立60周年を記念する、昨年の「メデア」に続くアリベルト・ライマンのオペラの舞台上演。
 指揮が下野竜也、演出が栗山民也。主催者、スタッフ、キャストの総力が実って、極めて充実したプロダクションとなったのはめでたい。

 「リアLear」とはいうまでもなくシェイクスピアの戯曲「リア王」の主人公のこと。原作の物語をほぼ忠実にオペラ化したクラウス・H・ヘンネベルクの台本により、音楽は1978年に完成されている。
 したがって「メデア」(2010年ウィーン初演)よりもずっと若い時期の作品ということになるが、それだけに音楽には直截なエネルギー感があふれ、劇的な描写力もストレートで解りやすい。

 邪な2人の娘に裏切られたリアが絶望のあまり嵐の中で狂乱に陥るくだりは、最もオペラ向きの場面といえようが、そこでのライマンの音楽は、比較的シンプルな作曲手法ながら、凄まじい迫力を感じさせる。弦楽器群が持続させる響きの上に金管が断続的に怒号する手法は、ブリテンの「ピーター・グライムズ」を思い出させるけれども、あれよりも更に執拗で粘着的で強烈なのは、さすがにドイツ人の作品ゆえ(?)か。

 全曲を通じオーケストラの雄弁さと、その巨大な音響が目立つ。ただ、第1幕(90分を超える)での緊迫感に比べると、第2幕(60分程度)の、特に後半は少し弛緩する感がなくもない。
 リアが末娘コーデリアの遺体に取りすがって悲嘆の極、死んで行く前後の場面も、ドラマとしてもやや念入り(?)で、長いか。昔、平田禿木が書いた読み物「シェイクスピア物語」(1947年文壽堂刊)の「リヤ王」の終結、「けれども私はこの悲しい物語をあまりに長く續けすぎはしなかったでしょうか」という一文を、ふと思い出した。

 歌手陣。今日は8日の公演と同じAキャスト。
 主人公のリアを歌った小森輝彦は、特に第1幕はほぼ出ずっぱり、狂乱の場を中心に劇的な力唱と力演で見事な表現力を披露してくれた。やはり彼はドイツのレパートリーでその本領を発揮するようである。今回の彼のリアは、今年のオペラ歌手アカデミー主演賞にふさわしいだろう(そういう制度、作りませんか?)。
 また、リアの長女ゴネリルを歌った小山由美の安定したドイツ語の歌唱は見事で、最もよく音楽に乗っていたように感じられた。落ち着き払って惨忍な性格の女を演じるという凄みもある。

 その他、今日のキャストは、ゴネリルの夫オルバニー公を宮本益光、次女リーガンを腰越満美、その夫コーンウォール公を高橋淳、3女コーデリアを臼木あい、その夫フランス王を小田川哲也、リアの忠実な部下ケント伯爵を大間知覚、同グロスター伯爵を峰茂樹、その息子エドガーを藤木大地、その異母弟エドマンドを小原啓楼、道化を三枝宏次。二期会合唱団も出演した。

 下野竜也の指揮は、ライマンの作品に対する愛情と共感を感じさせ、昨年の「メデア」を遥かに上回る素晴らしい演奏をつくり上げた。大音響があふれるこのライマンのスコアを手際よく、しかも迫力充分にまとめた手腕は見事と言うほかはない。通常のオケ・ピットに配置した弦楽器群、舞台上の上手側に金管セクション、下手側に打楽器や木管群を配置してのオーケストラを実にバランスよく響かせていたのにも感心させられた。
 そういえば、舞台上の楽器群の前に設置された格子のようなものは、確か昨年はなかったのでは?(※) このおかげで、昨年のようにうるさくもなく、視覚的な煩わしさも感じずに済んだ。あれだけ大きな音で鳴りながらも、歌手の声がかき消されるというケースもほとんどなかったのである。
 読売日響の演奏も昨年を凌駕する出来で、その底力ある音はスペクタクルでさえあった。

 演出。欧州での上演のそれと違い、殊更に複雑な解釈を織り込むことなく、また悲劇性や不条理を誇張したりすることなく、シェイクスピアの原作の物語をそのまま再現したような、極めてストレートな手法で行われたが、それだけに理解しやすいものだったと言えるだろう。
 人物の動かし方も要を得ていたが、折角のシェイクスピア物なのだから、更に演劇的な要素を強く押し出した方がよかったのではないか? たとえばグロスター伯の目をくり抜く場面での、邪悪なリーガン役の腰越満美は体当り的な演技だったが、それがもう少しドラマ全体の自然な、必然的な流れの中に乗っているように感じられれば、御の字だったのだが。
 だが、ラストシーンでの、ゴネリル、リーガン、エドマンド、コーデリア、リアらが息絶えている死屍累々たる場面は、如何にも究極のシェイクスピア悲劇らしく、効果的な光景になっていた。

 すべての点で、力作であった。成功である。

※関係スタッフから聞いたところによると、この上演のために舞台の上手と下手の袖のポータル(額縁、壁のようなもの)を一時取り払い、舞台を拡大していた由。格子のようなものは、その枠組だとのこと。

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