2020-04

11・4(月)パーヴォ・ヤルヴィ指揮パリ管弦楽団

    東京文化会館大ホール  3時

 都民劇場公演。
 フランスとロシアの作品を組み合わせたプログラムで、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」、ラヴェルの「左手のためのピアノ協奏曲」(ソロはジャン=フレデリック・ヌーブルジェ)、プロコフィエフの「交響曲第5番」という構成である。
 私の好みから言えば、東京の一般公演のプロより、こちらの方が一癖あって面白い。

 1曲目の「牧神」は、まさにフランスのオーケストラの名刺代わりともいうべき曲だが、冒頭のフルート・ソロからして、何か企んでいるような(?)斜に構えた雰囲気を感じさせ、微苦笑を誘われる。
 このホールの響きがややドライなので、各管楽器のソロと他のパートとの溶け合いに精妙な響きが不足し、何か即物的な演奏に感じられてしまったが、考えてみれば、所謂夢幻的で玲瓏たる世界の「牧神」など、今はもうほとんど聴けない時代なのかもしれない。音楽監督パーヴォ・ヤルヴィの求めるものが、現代の指揮者らしく、明晰で、メリハリの強い響きの音楽であることも影響しているかもしれぬ。

 ラヴェルの協奏曲でも、あの冒頭――蠢くコントラバス群に音が次第に寄り集まり、ついに燦然たる爆発に達するくだりなど、所謂幻想的な音の変化というよりは、あくまで明晰なクレッシェンドというイメージだけで聞こえる。まあ、それはそれでいいのだが。
 ひたすら押しまくるダイナミズムの迫力という点では、パーヴォもパリ管も、それはもう見事なものだ。オーケストラが渦巻きつつぐんぐん上昇してソロ・ピアノと応酬する頂点個所などでは、さすがに息を呑ませるものがあった。

 このあたりまでは、オーケストラにもフランスらしい華麗で開放的な音色があふれていたが、これがプロコフィエフの交響曲になると、途端に硬質で強面の表情に一変したのが面白い。ダイナミックなエネルギーはますます強くなり、フィナーレの最後での、ゴールに向かって「こけつまろびつ」突進するようなエンディングにおいて、パーヴォがつくり出した猛烈な追い込みも見事だった。

 アンコール1曲目の、ビゼーの「子どもの遊び」からの「ギャロップ」では、これがまた如何にもフランスのオケらしい軽妙洒脱な響きを取り戻す。但しそのあとのグリンカの「ルスランとリュドミラ」序曲は、意外に正面切った演奏になっていて、やや面白味を欠いたが。

 なお、このプログラムでは、ラヴェルの「左手」を弾くヌーブルジェを聴けたのも幸いだった。その「左手」のあとのアンコールに、低音の声部に特徴を持つストラヴィンスキーの怪奇な雰囲気の小品「タンゴ」を持って来るセンスも洒落ている。

 余談だが、「牧神」の最後の音が消えて行った瞬間、パーヴォの手がまだ下りぬうちに、下手側前列の誰かが拍手を始めた。誰も追従しなかったのですぐ止めたが、その時パーヴォは落ち着いてゆっくり手を下ろしたかと思うと、「はい、これでもう拍手していいですよ」とでも言う身振りで左手をその方向へ差し伸べた。コンマスや第2プルトの奏者も、その客の方を振り返り、ニコリとした。
 フライング拍手に対して示した、演奏家たちの実にしゃれたこの動作に、場内からは軽い笑いと万雷の拍手が起こったのであった。

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