2019-11

10・14(月)ザ・カレッジ・オペラハウスの「ピーター・グライムズ」

    ザ・カレッジ・オペラハウス(大阪音楽大学) 2時

 毎年秋に意欲的なオペラ・プロダクションを制作しているザ・カレッジ・オペラハウスが、今年はブリテンの「ピーター・グライムズ」を上演した。
 今年がこの作曲家の生誕100年といいながら、彼のオペラを取り上げたのは全国でもここだけだから、大いに貴重で意義がある。

 字幕つきの原語上演で、高関健の指揮、中村敬一の演出。小餅谷哲男(ピーター・グライムズ)、枡貴志(バルストロード船長)、平野雅世(エレン)、西原綾子(アーンティ)、野間直子(セドリー夫人)他の出演。ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団と合唱団、大阪音大学生選抜メンバーの合唱。

 高関健の指揮のもと、管弦楽もソロ歌手たちも合唱もまとまっていて、満足すべき水準の演奏となった。特に合唱は力があり、ピーター・グライムズ憎しと激昂怒号する場面での緊迫度は印象に残る。
 管弦楽も、いくつかの間奏曲でもう少し緻密で精妙な響きが出ていれば有難かったが、本編(?)の演奏においては、ブリテンの音楽の魅力を味わわせてもらうにはまず不足は無かったであろう。

 そこまではいいのだが、問題は、旧態依然とした演出にある。歌手たちに「語りかけるべき相手」の方を向かせずに客席の方を向かせ、ソロでも重唱でも合唱でも常に「定まりの型」を採らせてしまう。これは、このオペラのような心理劇を再現するには、全くそぐわない手法だ。

 特にピーター役の歌手は、意味なく手を差し延べたり左右に動かしたりするのも気になったが、その手の動きも、自己の夢想に耽る際のそれと、「小僧、来い!」と少年を脅す時のそれとが全く同じだというのは、いったい演技というものをどう考えているのだろうか? 自分の小屋で少年を怒鳴りつける場面など、背景に向いて何か動作をしては、歌う時になると演技を止めて客席を向くという状態だ。これでは威嚇か独白かも明確でなくなるし、まして追い詰められ精神の平衡を失いつつある主人公の異常な心理状態は、とても描き出すことはできない。

 世界のオペラ演出界が、常に新しい試みを模索しつつ試行錯誤を繰り返している時代に、こんな演出をまだやっているとはなさけない。ザ・カレッジ・オペラハウスのオペラ活動が音楽的には意欲に満ちているだけに、演出面でのかようなアンバランスは惜しまれる。上演プロジェクトのテーマが「創造×音楽」であるのなら、尚更であろう。

 なお、今回の字幕は籔川直子。こなれた、解りやすく読みやすい文章の字幕であった。
     ⇒モーストリークラシック新年号 演奏会レビュー

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