2020-07

6・12(水)庄司祐美(メゾソプラノ)リサイタル

   北とぴあ つつじホール  7時

 東京二期会所属のメゾ、庄司祐美の定例リサイタル。
 ベートーヴェンの「希望に寄す」(Op.94)、ブラームスの「ジプシーの歌」、トマの「君よ知るや南の国」、ビゼーの「セギディーリャ」、サン=サーンスの「君が御声にわが心開く」、ワーグナーの「ヴェーゼンドンク歌曲集」、R・シュトラウスの「明日」「夜」「イヌサフラン」「解放」および「献呈」(アンコール)と、凄まじく「分厚い」プログラムが組まれた。

 前回もそうだったが、庄司さんはプログラムの解説も、すべての曲の訳詞も、自分でやってしまう。
 「ヴェーゼンドンク歌曲集」では自ら移調譜を作成、その解説もワーグナーがマティルデのために書いた「初稿」とショット出版の「初版」を比較し、さらにペータース版出版譜なども参照して書くという念入りなものだ。私が大阪響(6月18日定期)のために書いた解説なんかより遥かに詳しく、読みでがある。敬意を表したい。

 それもあってか、今夜もその「ヴェーゼンドンク歌曲集」が最もリキの入った歌唱であった。また、ブラームスやR・シュトラウスなど、やはりドイツもののレパートリーに、彼女の良さが感じられたと思う。
 だが、「君が御声に・・・・」は、ダリラ役が(単独の)アリアとして歌うのだから、その場合普通に歌われるように、「Samson,Samson,Je t‘ame!」を最後に入れて締めた方が効果的だし、聴き手にも解り易いだろう。それをやらなかったのは、彼女の前記のような研究熱心な姿勢と、オリジナル志向のいたすところだろうか。

 これで、・・・・ピアノがもっと歌曲の内容と情感と息づきに合わせ、大きく包み込むように声楽を支えて演奏されていれば、音楽は遥かに盛り上がりを見せていたであろう。「カルメン」ではもっと湧き立つような、「サムソンとダリラ」ではもっとエロティックな、それぞれの女の情熱が、歌とともにピアノでも示されなければ、いくら歌手が頑張っても、音楽はか細く、消沈してしまい、聴く方も高揚した気分にならないのである。
 「ヴェーゼンドンク歌曲集」にしても、「トリスタン」と並行して書かれたこの曲で最も重要な要素は、「和声」なのではなかろうか? これはピアノの領分である。

 そもそも歌曲に「伴奏」という定義などあり得ない。ピアノはもっと楽曲の内容に即して、声楽パートと同等に雄弁な表現をしなくてはならない。歌が言い得ない感情を、ピアノが表現する。それでこそ、歌手を完璧にサポートできるというものだろう。

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