2019-05

5・9(木)エリアフ・インバル指揮東京都交響楽団

   東京文化会館大ホール  7時

 児玉桃を迎えてモーツァルトのピアノ協奏曲「ジュノム」(ジュナミ)、そしてブルックナーの「第9交響曲」。

 インバルのブルックナーは、これまで東京都響と演奏したいくつかの曲と同じく、がっしりと揺るぎない骨格で構築され、厳めしく聳え立つ。聴く側も息を抜けない。
 この「9番」、ブルックナーの交響曲の中では不思議な存在で、20世紀音楽を先取りしたような大胆な和声が強調されたり、魔神が髪振り乱して荒れ狂うような激情的な作品となったり、あるいは荘厳な祈りの音楽となったり、指揮者の解釈によってそれこそさまざまな顔で立ち現れる作品だが、インバルの狙いは、これをひたすら厳しい造型で固め、毅然たる強面の意志力を持った作品として再現することにあるとも言えるだろう。
 私としては、昔フルトヴェングラーの「魔神」的な演奏のレコードに震撼させられて以来、そういうタイプの「9番」が好きだが、もちろん、どんなタイプでも、演奏さえしっかりしていれば文句はない。

 ただ、今日の都響には、惜しいことに、最初のうち妙にノリの悪いところが感じられ、――それは第1楽章のモデラート主題【F】あたりに行くまでには落ち着いたようだったものの、たとえば最弱奏で一つの音型が点滅した後に次の大きなフレーズに入る瞬間の息継ぎの場面で、所謂「矯め」やリタルダンドとは異なるタイプの、流れの悪い不自然さがいくつかあったのが気になった。
 また今日はフォルテ3つの個所で、それにふさわしい轟然たる大音響が炸裂したが、その金管の音色があまり綺麗ではないのも惜しいことだった。これは先日の「5番」の時にも気になったものだが。

 しかしまあ、これがよく響く残響の長いサントリーホールでの演奏だったら、それらの大半は気にならぬままに済んでいたかもしれない。それに、もっと瑞々しい音と演奏で聞こえたであろう。この満席の東京文化会館大ホールは、細かいアラも何もすべて露わにしてしまうドライな音になってしまうのだ。

 だがとにかく、演奏の力感は見事だった。第1楽章コーダ直前【W】の頂点で、音楽が一段と巨大な重量感を増すところや、第2楽章のスケルツォの1回目の演奏の後半部分の激烈さ(2回目は何故かやや盛り上がりに不足したが)など、インバルの気魄と、それに応える都響の馬力が目立っていた。

 モーツァルトの方でも、インバルは画然たる音楽を構築する。児玉桃はフォルテピアノのように引き締まった音で歯切れよく闊達に入って来る。以前、「8番」を弾いてくれた時と同様、率直で爽やかなモーツァルトである。
   音楽の友7月号 演奏会評

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