2020-04

3・22(金)隅田川二題~カーリュー・リヴァー&隅田川

   KAAT 神奈川芸術劇場  7時

 能の「隅田川」から生まれた二つの作品――英国の作曲家ブリテンのオペラ「カーリュー・リヴァー」と、日本舞踊による清元の「隅田川」が二本立て上演された。
 「カーリュー・リヴァー」と、原作の能の「隅田川」(観世元雅作、室町時代)の二本立て上演は、これまでにもいずみホールその他で何回か観る機会もあったが、清元の「隅田川」との併演に接したのは、私はこれが初めてである。

 物語は、かどわかされたわが子を探して京から下って来た母親が隅田川の渡しで子供の死を知り悲嘆に沈み、同情する人々の祈りの歌(あるいは念仏)の中に子供の声を聞く。オペラでは最後は西洋風に救済のイメージで結ばれるが、能では幻が消えると四方は茫々たる荒野であった、という寂しい幕切れになる。

 解説書に由れば、清元版「隅田川」は、能版を基にして、明治16年に條野採菊が作詞、二世清元梅吉が作曲して翻案したもので、その後明治39年に藤間政弥が舞踊化し上演、さらに大正8年に二世市川猿之助(初代猿翁)が振付して歌舞伎座で上演、これにより『日本舞踊・清元「隅田川」』が成立した由。
 今回は花柳壽輔が演出・振付を行ない、自ら「斑女の前」(狂女)の役を踊った。舟長役を踊ったのは花柳基。演奏は浄瑠璃、三味線、囃子により行なわれた。

 一方、最初に上演された「カーリュー・リヴァー」も、同じく花柳壽輔の演出・振付によるものだった。彼は、オペラ演出を手がけるのはこれが初めてだそうである。

 予想通りというべきか、彼はオペラの「カーリュー・リヴァー」をも自分のフィールドに引き込み、純日本風の「隅田川」として舞台化した。つまり狂女(鈴木准)、渡し守(大久保光哉)、旅人(井上雅人)らの歌手たちを和服で下手舞台袖に配置し、和服姿の合唱を上手舞台袖に配置し、演技はせずに歌のみに専念させる。舞台中央では、篠井英介(狂女)、大沢健(渡し守)らが日本舞踊でストーリーを語って行く。
 ただし、オペラの最初と最後に登場する修道士たちは、修道院長(浅井隆仁)をはじめ修道服で舞台中央に立つ――という具合だ。要するに「劇中劇」の部分を「日本様式」にしたということになる。

 かような「カーリュー・リヴァー」の舞台、オペラとしてはやや変化に乏しいきらいはあったものの、花柳壽輔が手がけるとなれば、この演出は当然と言うべきであろう。
 ただ、今回の上演が「カーリュー・リヴァー」1本のみであれば、それで良かった。だがそのあとにもう一つ純和風の「隅田川」が上演されるとなると、――「カーリュー・リヴァー」&「隅田川」でなく、「隅田川」&「隅田川」になってしまい、視覚的には屋上屋を重ねるの類になってしまった印象もある。いやそんなことはない、「音楽」が違うじゃないか、と言われればその通りなのであるが――。

 しかし、意義ある企画であり、貴重な上演で、面白かった。「カーリュー・リヴァー」には故・若杉弘による邦訳が使用されていた。これは初めて聞いたが、能や清元の詞も転用された、なかなか風情のある訳詞であった(解りにくいところもあるが)。
 ピットに入ったアンサンブルは上野由恵(フルート)他、指揮は角田鋼亮が受け持っていた。

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