2020-04

3・10(日)ベルリン州立歌劇場 ワーグナー:「神々の黄昏」

   シラー劇場(ベルリン)  4時

 ベルリンのリンデン・オーパー(ベルリン州立歌劇場)の本拠地の建物は未だ改装中。公演には、依然としてシラー劇場が使用されている。

 このギイ・カシアス新演出「ニーベルングの指環」の完結篇、「神々の黄昏」の初日(3日)を観たドイツ在住の知人のジャーナリストが、その出来について、メールでクソミソに言って来た。
 しかし、それぞれ好みと信条の問題もある。何事も自分の目で観た上で判断すべし、と実際に観に行ったのだけれども、・・・・なるほど、これじゃァ――という感。

 そもそも、「指環」のようなケレン味とスペクタクル性を舞台に要求されるオペラを、舞台機構があまりなさそうなこのシラー劇場でやるというのが、どだい無理な話だろう。苦心惨憺、工夫していたことはお察しするが 舞台装置の転換にせよ、人物の登場退場にせよ、言っちゃあ何だが、場末の劇場なみの水準である。これがドイツ屈指の名門ベルリン州立歌劇場の公演でないということなら別だが・・・・。

 その上、カシアスの演出からして、もともとドラマトゥルギー的な突込みに不足しているし、人物の演技もかなり大雑把だ。特に第2幕(ギービヒ家の場面)での群集は時に所在無げに動くこともあり、素人芝居同然である。演出家が明確に指示を出していないことが、ありありと見てとれる。

 それを辛うじて救っているのが、舞台奥の屏風のようなスクリーンに投影される映像照明だ。これは最近流行りの手である。
 動画映像は、クリムト的な色柄から、日本の墨絵のようなデザイン、あるいは炎のイメージなど、素晴しく目映く美しいものから、腹部エコー映像のような薄気味の悪いものまで、いろいろある。それはそれでいい。

 だが、その使い方が問題だ。第1幕最後の「ブリュンヒルデの岩山の場面」における炎の映像はすこぶる華麗だったので、この分ではおそらく、全曲最後の山場であるブリュンヒルデの自己犠牲、火葬の場からライン川の氾濫、ヴァルハル城の炎上と世界の没落、未来への希望――といったドラマが、それこそ映像やダンスを総動員し、ラ・フラ・デルス・バウス並みの目を奪う光景の裡に繰り広げられるのでは――と予想したのだが・・・・。
 クライマックス場面で、これほど拍子抜けしたことは、私の「神々の黄昏」体験の中で、例がない。舞台装置と照明に何か手違いがあったのでは?と訝ったほどなのだ。

 これから観る方も多いだろうから、これ以上は触れるのをやめる。いずれにせよ、自分の目で観た上での、各々の判断である。
 それにしても、このプロダクション、スカラ座公演の時にもこの手でやるのかしらん?

 「ラインの黄金」の時に評判の悪かったダンスは、また出て来た。一所懸命踊っているダンサー(4人)には申し訳ないが、何か要領の悪い踊りであることは、相変わらずである。
 ただし今回は、使い方に感心させられる場面があった。ダンサーは専らジークフリートに纏わり付くのだが、一つはギービヒ家の場面で、ダンサーが異形の怪物のようなポーズを組み、ジークフリートがファーフナーから宝物を奪い取った話をしている時にグンターがその怪物(もしくは宝、あるいはジークフリートの話の真偽の象徴)に触ろうとすると、パッと不気味に触手を伸ばして、グンターをはねつける光景。

 もう一つは、岩山の場面に変装したジークフリートが出現する場面で、ジークフリートに代わってそのダンサーたちがブリュンヒルデに襲いかかり、指環を奪い、更に彼女を取り囲んでレイプする(ように見える)という演出である。
 これらはなかなか気の利いたアイディアで、この2ヶ所だけは、あの煩わしいダンスの存在が100%良い方向に生かされていた。

 ダニエル・バレンボイムは、今回はかなり速めのテンポで指揮していた。無雑作に音楽をつくるところもあり、オーケストラ(シュターツカペレ・ベルリン)の方にも少し雑な個所があったが、まあ、ルーティン公演では、大体こんなものだろう。
 2階席前方で聴いた限りでは、オケはたっぷりした音で鳴っていた。昨年暮れの「ばらの騎士」と同様、この演劇用劇場のピット(かなり深い)も意外に悪くないなと思えたのは、両方とも2階(1 Rang)席で聴いたためだろうか。

 歌手陣では、イレーネ・テオリン(ブリュンヒルデ)が相変わらず物凄い馬力を発揮して、最後まで押し切った。彼女に次いで拍手とブラーヴァを浴びたのは、安定した味を聴かせたマリーナ・プルデンスカヤ(ヴァルトラウテ)である。ゲルト・グロコフスキ(グンター)もしっかりと主役の一角を固めており、安心して聴ける。

 イアン・ストレイ(ジークフリート)は、声はいいのだが、歌の表情にもう少し細かいニュアンスが欲しいところだろう。ミハイル・ペトレンコ(ハーゲン)は、このところこの役を歌うことが多いが、歌唱にも演技にも、一同を有形無形に支配する強靭な存在感に欠けるのが問題ではなかろうか。どうも線が細いのである。マリーナ・ポプラフスカヤ(グートルーネ)は無難にこなしていた。他にヨハネス・マルティン・クレンツル(アルベリヒ)ら。

 30分と25分の休憩を挟み、終演は9時半過ぎだから、やはりテンポは速めの方だ。
 外は小雪。かなり積もっている。顔も手も凍りつくような冷えだ。この劇場は地下鉄(U2)のエルンスト・ロイター・プラッツ駅に近いのが有難い。


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クプファー演出が懐かしい!

バレンボイムのワーグナー、新しい時代に入ったんですね。
11年前の、東京での圧倒的なクプファーとのリングチクルス、
その後ベルリンで10曲全てのワーグナーチクルスがありました。
あのリングチクルスは、私にとっては、今までの人生で最高の音楽体験となり、
その後DVDでクプファーリングにのめり込んでしまいました。

トリスタンの時も感じましたが、
クプファーの後では演出家も辛いと思います。
特にクライマックスでのクプファーの驚きの演出の後では
どんな演出でも、もの足りないのだろうなと感じました。
もう一度、クプファー/バレンボイムのワーグナーを
体験できないものでしょうか?
ただひとつ、最近のブリュンヒルデ役で、ポラスキの後に、
テオリンという人が出てきたのはいいですね。
前回の東京で聞けなかったので、私も今度聞きたいです。






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