2020-04

3・5(火)尾高忠明指揮札幌交響楽団 東京公演

   サントリーホール  7時

 尾高忠明の十八番といえば、やはりエルガー、ブリテンなどの英国音楽と、それにシベリウスではなかろうか。したがって、彼が音楽監督を務める札響にも同じことが言える。
 その尾高と札響が、満を持してシベリウス・ツィクルスを開始した。但し年1回のペースで3年がかり。札幌での定期では毎年3月にそれを取り上げる。

 第1回は「フィンランディア」「交響曲第3番」「第1番」で、1日と2日に札幌で演奏したのち、この東京公演に持って来た。出来は上々である。札響のこれまでの東京公演のうちでも、ベストのグループに属するものと言ってもいいのではないかと思う。

 「フィンランディア」が開始された瞬間、久しぶりに聴く札響の音が、随分重厚な、恰も霧の闇の中から響き渡るような凄味を感じさせたのには驚いた。序奏や、あの有名な主題部分のように、息の長い、厚みのある和声が持続する音楽のところでは、ホールの空間一杯に密度の濃い音が木霊するといった趣である。尾高=札響のこういう音は、かつて彼らがエディンバラのアッシャーホールでシベリウスの「第2交響曲」を演奏した時に聴いたことがある。

 ただその代わり、「フィンランディア」の主部のアレグロのような、音楽が激しい勢いで鳴動する個所では、それまでの重厚な響きの密度が薄れ、どこかに隙間のある音となって、「オーケストラとしては些か軽く」なる傾向が生じるのが惜しい。
 こういうプラスマイナスは、札響の本拠地のkitaraで聴けばまた違ったカラーで聞こえるのかもしれないが、少なくともここサントリーホールでは、こう聞こえたのである。

 この相反する特徴は、他の曲にも共通していた。それゆえ、叙情的な色合いの濃い「第3番」や、「第1番」の第2楽章全曲及び第4楽章のアンダンテ主題の個所では、うっとりするほど豊麗な陰翳に満たされた、素晴らしい演奏が続いた。
 その反面、「第1番」の第1楽章や第4楽章のアレグロ部分など激烈で闘争的な音楽の個所では、惜しいことに、全管弦楽ががっちりと音塊をつくり上げるというところまでは行かなかった――ただしそこでの演奏の凄まじいエネルギー感は、それはそれで聴き応えはあったが。

 だがともあれ、熱狂的なシベリウス・ファンの私としては、「第1番」終結での、あの大波の如き盛り上がりの豊かな情感に富んだ演奏を聴けば、終り良ければすべて好し、という気持になってしまう。
 「第3番」の最終の頂点にしても、弦楽器群が同じ音型を執拗に反復し、その向こう側で木管と金管が遠い木魂のように咆哮を続けるあたり、まさに「繰り返しの恍惚」である。尾高がここで徒にテンポを速めることなく、あくまで基本のテンポを守って最後までスケールの大きさを失わせなかったことは実に賢明だったと思う。

 アンコールには、いつだったか名演を聴かせてくれたことのあるシベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」をまたやってくれるかと期待していたのだが、・・・・エルガーの「弦楽セレナード」から、となった。マエストロ自らのスピーチによれば、これはCDのプロモーションだとか。しかし、素晴らしい演奏だったので、文句は言いません。

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