2017-10

12・20(木)ベルリン滞在記2  ノイエンフェルス演出のヴェルディ「椿姫」

    ベルリン・コーミッシェ・オーパー  7時30分

 お騒がせ演出家ハンス・ノイエンフェルスによるヴェルディのオペラは、10年ほど前に、ベルリン・ドイツオペラで「リゴレット」を観たことがある。
 マントヴァ公爵が墓場で白骨死体を抱きながら「あれかこれか」を歌ったり、リゴレットの「隠れ家」が椰子の木の生える小島だったり(これは単なるリゴレットの家の庭のデザインかもしれなかったが)と、大変なシロモノに辟易したことがあった。
 それに比べると、この「椿姫」は、思いのほかマトモな路線だ。2008年11月にプレミエされたもので、今シーズンは7回上演、今夜は5回目の上演という。

 舞台装置としては、ガラガラ大きな音を立てて動く幅2m、高さ5mほどの壁みたいな板が3つ。他には何もない。
 冒頭、前奏曲の間に、狂言回し的な役割をも果たす黙役の男がヴィオレッタに手袋を投げ、彼女がそれを拾う――明らかにこれは「男」とヴィオレッタとの「決闘または勝負」の暗示であり、多分この「男」は、彼女を愛して付き纏う死神ではないかとも見られたが・・・・。
 第1幕終結ではこの死神(?)は、愛に勝ち誇ったヴィオレッタの前から怒って走り去って行くという具合で、それは当然だろう。

 同じ第1幕で、この「男」が赤と白の椿の花束をヴィオレッタに示す場面があって、――これは、小デュマの原作「LA DAME AUX CAMELIAS」にある、高級娼婦マルグリット・ゴーティエが月に25日は白の椿の花束を、あとの5日は赤い椿の花束を携えていたというくだりから得たアイディアだろう。ノイエンフェルスも意外に芸が細かい。
 ヴィオレッタは、その中から赤い椿をアルフレードに手渡す。これも原作の小説でマルグリットが同じ行動をしつつ「今日はだめですけど、明日」と言う場面から採ったシーンだろう。これを見た「恋する死神」は激怒し、持っていた花束を叩きつけて去る。――とはいえ、ここまで行くと、原作を読んでいない限り、演出の意味を理解するのは難しいのではないか。

 第2幕での夜会の客たちのうち、女性たちがゾンビみたいな顔をしているのは、有象無象の連中たちを描写するのによく使われるテだから、別に珍しくもなかろう。第3幕も、予想外にストレートな演出であった。
 帰国後に知人から聞いた話では、「ノイエンフェルスはこのプロダクションを創った時期、ちょうど体調が悪く元気がなかったため、この演出はあまり冴えないものになったのだ」とか。なるほど。
 
 指揮はシュテファン・クリンゲレという人。なかなか引き締まった指揮をする。
 歌手陣は、ヴィオレッタ役のブリギッテ・ゲラー(容姿もいい)と、ジョルジョ・ジェルモン役のアリス・アルギリスを除いては、歌唱はあまりいただけない人ばかりだ。
 特にアルフレード役のTimothy Richards という非常に太い声のテナーは、押し出しは悪くはないが、なんとも素人っぽい歌いぶりで。
 なお、歌唱はこの劇場の習慣に従い、すべてドイツ語訳が使われていた。耳あたりが随分違う。

 この劇場の内部はクラシカルで本当に美しく、私は好きだ。だが、不思議に今夜は客の入りがよくない。半分も入っていなかったのでは? 一所懸命やっている指揮者やオケや歌手たちが気の毒に思えたほどだ。9時50分頃終演。

 劇場からヒルトン・ホテルまでは、徒歩で10分もかからない。
 ホテルの前のジェンダルメン・マルクトは、フランスとドイツの大聖堂と威風堂々たるコンツェルトハウスが鼎立する、それはもう美しい景観の広場なのだが、今はクリスマスとあって多数のテントが張られ、イヴェントが行なわれている。クリスマスでなくても、最近はのべつこのようなテントや小屋が設置されているのにぶつかる。折角の美しい広場も台無しで、なさけない。

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