2020-04

12・10(月)中嶋彰子のコンセプト・演出・歌による「月に憑かれたピエロ」

    すみだトリフォニーホール  7時

 これは随分と凝った企画である。
 すでに石川県立音楽堂と高岡文化ホール(富山県)での公演を終り、今夜が東京公演。

 ソプラノの中嶋彰子が夫君ニルス・ムース指揮するアンサンブルと協演して歌うシェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」は、2009年10月にもいずみホールで聴き、その見事な歌唱に感心したことがある。だが今回は彼女自ら演出も担当しての、能と映像とのコラボレーションによる舞台上演だ。
 協演のアンサンブルは、ニルス・ムース指揮のオーケストラ・アンサンブル金沢のメンバーおよびピアノの斉藤雅昭。能の分野からはシテ役を渡邊荀之助(シテ方宝生流)、笛を松田弘之、太鼓を飯嶋六之佐、地謡を佐野登・渡邊茂人・藪克徳。映像は高岡真也が担当していた。

 舞台は、下手側に「洋楽」アンサンブルが位置し、中央に巨大なスクリーン、その下手側に太鼓、上手側に笛と地謡が並ぶ。スクリーンには月をはじめさまざまなアート的映像が投影。
 今回は全曲を「夜話」「悪夢」「ノスタルジア」の3つ(3幕)に分けての舞台とし、中嶋彰子は娼婦やピエロの扮装で歌いながら演技。シテも幕によって般若となり、あるいは老婆の霊となり、ピエロを威嚇したり慰めを与えたりする。

 ピエロを主人公とするシュールな詩の内容を集約かつ展開して一つのストーリーを構成したのは中嶋自身のようだが、これはきわめて良くできた筋書と言える。
 そしてまた、能の笛や太鼓による演奏と、シェーンベルクの音楽とは、不思議に違和感なく交錯して、興味深い効果を出す。
 「月に憑かれたピエロ」が、こうした試みの結果、どのようなイメージの世界になったかは、聴く人の考え次第。

 字幕もアートの一環となり、中央のスクリーンに投射される――のは洒落たアイディアである。ただ惜しむらくはその字幕は全曲の一部に過ぎなかったため、ただでさえなじみの薄い作品の内容が聴衆に理解されにくかったのはたしかだろう。
 あの歌詞がすべて字幕で出たからと言って内容が理解できるとは限らない(むしろ混乱するかもしれない)が、やっぱり、何を歌っているかが解った方がいいのではなかろうか(プログラムには歌詞が掲載されているが、それはまた別だ)。

 ついでながら、地謡も字幕が出たほうが解りやすかろう。終り近くでは、「姥捨山とはなりにけり」と歌われていたように聞こえたが、これがみんなにもはっきり解れば、最後の曲で優しい「老婆」が出て来て去って行き、ピエロが白いばらの花を手に見送る光景――「大地の歌」のような雰囲気もあって感動的だったが――の意味も、さらに浸透したのではないか。
 ともあれ、7日の「日本舞踊×オーケストラ」とともに、これは面白い体験。更に煮詰めて再演を。

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