2019-05

11・30(金)モーツァルト:「コジ・ファン・トゥッテ」

    滋賀県立芸術劇場 びわ湖ホール  2時

 大阪からJRの新快速で大津へ移動。速い。

 この「コジ・ファン・トゥッテ」は、琵琶湖ホール恒例のシリーズ「沼尻竜典オペラセレクション」の一環である。今回はバーゼル歌劇場との共同制作で、演出・舞台美術・照明は同歌劇場総裁のジョルジュ・デルノンが担当した。

 出演は、フィオルディリージを佐々木典子、ドラベッラを小野和歌子、デスピーナを高橋薫子、フェランドを望月哲也、グリエルモを堀内康雄、ドン・アルフォンゾをジェイムズ・クレイトン。びわ湖ホール声楽アンサンブルと日本センチュリー交響楽団、指揮が沼尻竜典――という顔ぶれ。

 デルノンの演出は、もちろん現代の日常的な場面の中で展開されるパターンで、特に突飛な仕掛けといったものはない。
 新機軸とも思われる点といえば、2人の男の変装を、文字通りの変装ではなく、それぞれ大きな別人の顔写真をかざして、「別の男」を象徴的に表現した手法にあるだろう。それゆえ舞台上では、本来のフェランドとグリエルモの容姿をそのまま見せているが、登場人物たちも観客も、既に彼らは別人――と心得たことを前提としてドラマが進められることになる。
 面白いのは、第2幕に至り、「遊び心」が昂じて来た姉妹の方も他人の顔写真を掲げ、彼女らまでが「別人」となることを宣言する設定だろう。このあたりで、恋人4人の関係が、スワッピングの様相をさえ呈して来たことが暗示されると見てもいいのかもしれない。

 ラストシーンがハッピーエンドに終らぬことは、現代の演出ではもはや常識であろう。
 今回も、2組の恋人たちの過去の関係は、ものの見事に瓦解する。ただし、組み合わせを変えたカップルがどうやら1組は出来そうだ――ということが暗示された瞬間に、オペラが終る。

 だがこの演出、今回のこの舞台は、残念ながら、どうも未整理の要素が多い。流れも決してスムースとは言えず、演技にも中途半端で作り物めいたものが感じられて、観客を快い愉しさに巻き込むまでには行かない。つまり、舞台にノリが足らず、常に「隙間」のようなものを感じてしまうのである。演出家と歌手たちの間に、呼吸の合わぬ何かがあるのかもしれない。

 沼尻竜典と日本センチュリー響の、オーケストラ・ピットでの演奏は、私は大いに気に入った。
 敢えて作為的な誇張も採らず、極めて率直な解釈で自然に押す沼尻の指揮に、オーケストラも柔らかい優麗な響きで応え、この曲の叙情的な美しさを十全に表出していた。グリエルモが髭を自慢する歌の個所での弦楽器群のソフトな音色にはハッとさせられたし、モーツァルトがこのオペラで余す所なく発揮している木管の官能的な和音の響きも明晰に聞こえて、たっぷりと魅了されたものである。

 但し、歌手たちとの関係は――? 
 歌とオケのあのテンポのズレは、どうしたことだろう? 1人ならず2人も3人も、また一度ならずしばしば、歌手たちが「走る」。歌手が指揮を見て歌っているのか、それともオケの音に合わせようとしているのか。副指揮者がいるのかいないのか。――特に第1幕では、それを気にしているうちに、疲れてしまった。

 歌手陣では、佐々木典子がベテランらしく、すべてに温かい大人の女性の味を出した。
 小野和歌子は歌唱表現に硬さがあるものの、舞台姿が映えるので、今後に期待が持てる。
 望月哲也と、大ベテランの堀内康雄は、コミカルな雰囲気を狙って精一杯の熱演と見えたが、どうもいつもと違い、作り物めいて無理があるような――。
 高橋薫子にしても同様、かつてツェルリーナ役で示した冴えも今回は聴けず見えず、舞台に溶け込んでいないように感じられてしまった。あの名手にして、こうなのである。
 ジェイムズ・クレイトンに関しては・・・・何だかつかみどころのない人だ。

 休憩20分を含み、5時35分頃終演。夜帰京。

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