2020-07

11・29(木)児玉宏指揮大阪交響楽団 第171回定期公演

    ザ・シンフォニーホール  7時

 午後の新幹線で大阪に入る。
 プフィッツナーとリヒャルト・シュトラウスの作品を組み合わせた、いかにも児玉=大阪響らしいユニークで意欲的なプログラムなので、聴きに出かけた次第だ。

 曲目が振るっている。東京のオーケストラさえ、ここまでできるかどうか。
 前者では「小交響曲 作品44」と、オーケストラ伴奏付歌曲集から「裏切られた恋と孤独な心」「マルクに寄す」「レーテ」「「さすらい人の夜の歌」「起床ラッパ」の5曲。
 後者は、作品33の歌曲から「讃歌」と「巡礼の朝の歌」の2曲および、「ばらの騎士」組曲。

 オーケストラ作品にせよ、歌曲にせよ、こうして並べて聴いてみると、同時代の作曲家と雖も、プフィッツナーはやはり地味で渋く、それに比してR・シュトラウスは派手で巧くて、大向こうを沸かせる術を心得ているなあ、と改めて痛感してしまう。

 歌曲は小森輝彦が――つい4日前に山形で「さまよえるオランダ人」を歌ったばかりの彼が、今度は大阪に現われて――見事な歌唱を聴かせてくれたが、その彼の声が、どんなにオーケストラが高鳴った場合でも、シュトラウスの時にはプフィッツナーと違ってオケにマスクされず、明晰に、鮮やかに浮き出して聞こえるのである。
 滅多に聴けぬプフィッツナーの歌曲にも接することができた喜びは味わえたけれども、それでもやはりシュトラウスの作曲技術の「巧さ」には魅了されてしまう。さすが「声+管弦楽」の分野では千軍万馬のR・シュトラウス・・・・だ。

 「小交響曲」(20分ほど)も、ナマで聴いたのは初めてなので、稀有で貴重な機会になった。曲の最初の方には、チャイコフスキーを晦渋にしたようなところもあって可笑しかったが、フルートやオーボエなど管のソロが活躍し、渋いながらも叙情的な美しさを滲ませていたのも印象的である。ここでの大阪響のソロは、みんな素晴しかった。

 「ばらの騎士」組曲は、これはもう、欧州の歌劇場で場数を踏んでいる児玉宏の本領であろう。 
 直接音の多いこのホールで大編成の管弦楽を聴くのは、私にはどうもまだしっくり来ない・・・・つまりこのホールのアコースティックには未だに「慣れていない」のだが、にもかかわらず児玉宏の指揮するこの曲の形容しがたい味のようなもの、妖艶な色彩感、作品本来の好さを100%発揮させる独特の感性――といったものは、十二分に堪能できたのであった。この曲でも、オーボエのソロが印象に残る。
 アンコールとして、曲の終りの部分が繰り返された。こちらの演奏は更に纏まりがよく、活気も更に高まっていた。

 児玉さんは楽屋で、「僕は何も、プフィッツナーがシュトラウスと比べてダメだ、なんてことを証明するためにプログラムをつくったわけじゃないんですよ」と笑っていた。私もその意図は充分理解している。
 ではあるけれども、演奏会全部を聴き終ってみると、やっぱり、何だかプフィッツナーが完全にR・シュトラウスの引き立て役にまわってしまった感も――。

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