2019-08

11・21(水)METライブビューイング ヴェルディ「オテロ」

   東劇  午前11時

 去る10月27日上演のライヴ。1994年に制作されて以来メトロポリタン・オペラの定番になっているイライジャ・モシンスキー演出版。
 今回の指揮はセミョン・ビシュコフ、歌手陣はヨハン・ボータ(オテロ)、ルネ・フレミング(デズデーモナ)、ファルク・シュトルックマン(イアーゴ)他。

 実はこのプロダクションは、2003年3月19日夜に、METで観たことがある。
 その時は、ゲルギエフの指揮、バルバラ・フリットリ(デズデーモナ)とウラジーミル・ガルージン(オテロ)、ニコライ・プチーリン(イアーゴ)という主役陣だったが、強烈な記憶として残っているのは、ちょうどその上演中にアメリカが対イラク開戦を行ない、攻撃を開始したことだ。
 METを出た時、目の前のマンハッタンの高層ビルの間に輝く月がやたら鮮やかに見え、この静けさがいつまで続くかな、という思いに、心が波立ったことを覚えている。
 翌朝のテレビは、セントラル・ステーションの物々しい警備を生中継しつつ、非常の場合にはイーストリヴァーの橋はすべて封鎖されるといったような、テロに備えてのブリーフィングを延々と報道。しかも天候は雷鳴も轟く土砂降り・・・・とあって、これはエライ時にニューヨークに来てしまったもんだ、などと、少々心細くさえなったものである。

 余談はともかく、このモシンスキーの演出は、極めてトラディショナルなもの。古い演出の舞台によくあることだが、特に今回は、群集の演技には概して所在なげな動きが見られた。
 ボータもフレミングも、歌唱を含めた舞台の出来は、予想通り、大体無難な水準にある。ただし脇役歌手たちの演技は、なぜかおそろしく下手だ。しかもビシュコフの指揮が、冒頭から何ともメリハリがなく、緊張感にも乏しく、ただヴェルディの音楽そのものが持つ高貴な迫力と美しさにのみ依存するような状態で・・・・。

 私のお目当ては、シュトルックマンがイアーゴを演じ歌うことにあった。これは期待通り、すこぶる重量感あふれる風格で舞台をさらっていた。このオペラのタイトルは「オテロ」よりも「イアーゴ」とした方がふさわしかろう、という昔からの説を思い出す。悪役というより、馬力で押すイアーゴになっていたのも、予想通りである。

 ボータは、体調不良のためにこのプロダクション出演を当初降りていて、この日から復活したらしい。しかし、進行役のラドヴァノフスキーが、歌手インタビューでそのことをしつこく繰り返し、「休んだことへの感想は?」などと訊くものだから、ボータがマイクを持ったまま露骨に嫌な顔をし、横でフレミングが懸命に彼を弁護しつつフォロー、進行役をたしなめるような表情(それもかなり強い調子の)をする光景も見られた。
 インタビューでこんな質問をするものではない、とはわれわれ記者の間でもイロハの常識である。ライヴ特有のハプニングではあるものの、これは放送事故に近い類のものだ。

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://concertdiary.blog118.fc2.com/tb.php/1524-efa27532
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

«  | HOME |  »

























Since
September 13, 2007

これまでの来訪者数

最近の記事

お知らせ

●2007年7月以前のArchivesを順次、アップロード中です。併せてご覧下さい。
2007年7月
2007年6月
2007年5月
2007年4月
2007年3月
2006年7月

Category

ブログ内検索

プロフィール

リンク

News   

雑誌 モーストリー・クラシック に連載中
「東条碩夫の音楽巡礼記」