2019-11

2・24(日)東京二期会公演「ワルキューレ」最終日

  東京文化会館

 初日とは別の組(Bキャストという表現は最近使わないらしい)を聴く要に迫られ、他の演奏会に行く予定を変更して「ワルキューレ」(マチネー)に向かう。
 都合で第2幕までしか聴けなかったけれど、初日の歌手陣とは異なった演技なども観ることができて興味深いものがあった。第2幕大詰めで、初日の舞台ではジークムントが息を引き取る瞬間に父ヴェルゼ(ヴォータン)を認め、不幸な父子が互いに目を見交わすという感動的な場面があった(このテはたいていの演出で行なわれている)が、今日はその演技が皆無だったのが不思議。かように舞台というものは、同じ演出であっても日によって変わるものである。
 なお、初日(20日)の項で一つ訂正をしておきたい。第1幕の幕切れでフリッカがヴォータンに若者たちの不倫現場を指し示す、と書いたが、今日もう少し近い位置の席(1階L9列)で観たところ、あれはヴォータンでなく、槍を持ったフンディングだった。演技ではフリッカが先に現場を発見したように見えたが、それではストーリーとして理屈に合わないから、フンディングが早くも密告して彼らの道行きをフリッカに見せ、彼女が激怒した演技だった、と解釈せざるを得まい。

 今日の組では、第2幕まででいえば、フリッカの増田弥生が、ベテランの小山由美の風格には及ばずとも熱演の歌唱で好ましく、ジークリンデの増田のり子もひたむきな性格表現を出した。
 初日の横山恵子が「落ち着きすぎの感じのブリュンヒルデ」だと書いたが、今日の桑田葉子も同じような印象だったから、この演出では最初から「元気よく愛らしいブリュンヒルデ」は求められていなかったらしい。フンディングは今日の小鉄和広、先日の長谷川顕とも重量感のある声で成功している。
 ヴォータンの泉良平は、残念ながら馬力だけではこの難役は解決できぬ。声楽的にも役の掘り下げの点でも、時期尚早ではなかったろうか。先日の小森輝彦の、少し線は細いが安定した歌唱の方が好ましかったと今にして思う。

 結局、今回の上演では、一にも二にも飯守泰次郎の円熟の指揮、ということになろうか。「死の告知」の場面の演奏など、きわめて情感にあふれていた。
 もう一つ付記しておきたいが、今回の字幕には些か解らないところがある。特に第2幕には、訳語のニュアンスが異なっているためストーリーを混乱させる個所(ヴォータンの独白の一部)、明らかに意味が逆ではないかと思われる個所(フンディングの歌詞)が見受けられたのだが、どうなのだろう?

 

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://concertdiary.blog118.fc2.com/tb.php/149-28699ebe
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

«  | HOME |  »

























Since
September 13, 2007

これまでの来訪者数

最近の記事

お知らせ

●2007年7月以前のArchivesを順次、アップロード中です。併せてご覧下さい。
2007年7月
2007年6月
2007年5月
2007年4月
2007年3月
2006年7月

Category

ブログ内検索

プロフィール

リンク

News   

雑誌 モーストリー・クラシック に連載中
「東条碩夫の音楽巡礼記」