2019-05

10・2(火)新国立劇場2012~13シーズン開幕公演
ブリテン:「ピーター・グライムズ」初日

   新国立劇場オペラパレス   6時30分

 新シーズンは、ウィリー・デッカー演出によるベルギー王立モネ劇場のプロダクション、ブリテンの「ピーター・グライムズ」で幕を開けた。

 開幕公演を借り物プロダクションでやるとは節操がないと批判していた人もいたが、芸術分野の予算が決して潤沢ではない今日、共同制作やプロダクションの交換は、今や世界の潮流ともいうべきものだ。なまじ中途半端なオリジナル物をやるより、よい舞台を各国の歌劇場が融通しあって上演する方がよほど意義がある。
 今回の「ピーター・グライムズ」も、ジョン・マクファーレンの美術と衣装、デイヴィッド・フィンの照明を含め、きわめて水準の高い舞台だ。上演の価値は充分にある。前シーズンの閉幕を飾った「ローエングリン」に続き、新国立劇場としては連続ヒット、といって間違いはあるまい。 

 舞台装置はきわめてシンプルなものだが、床は手前に急傾斜しており、このため特に第1幕では、人々の動きを常に斜め上方から俯瞰しているような感覚になる。まるで演出家から、「観客がどれほど疎外された者(ピーター)に同情の念を抱いても、所詮は傍観者的立場にいるに過ぎないのだ」と皮肉気に囁かれているかのよう。

 しかもラストシーンでは、村人から罵られるほどピーターへの同情と肩入れを続けていたエレンまでが、ピーターが死んだあとにはその冷酷な群衆の中へ(挫折感に打ちひしがれた様子ながら)埋没して行く、という演出設定が行われている。この最後の十数秒間の光景は些か衝撃的だ。デッカーは「噂」や「群集心理」の暴威とその犠牲者の悲劇を、どこまでも冷徹に突き放して描き出しているかのようにみえる。

 この恐るべき冷酷な「群集」を、デッカーは、舞台上で実に見事に動かした。
 群集全体の動きが一つの形と流れを造り、ピーターやエレンを糾弾して「いじめ」に回る瞬間には、アメーバのごときヌメヌメした執拗な嫌らしさを感じさせる形になって動く。これほど統一の取れた動きを示す「群集」を見たのは、私の経験では、90年代にザルツブルク音楽祭で見たペーター・シュタイン演出の「モーゼとアロン」での大群集以来である。

 それゆえ今回、この群集を演じた新国立劇場合唱団(合唱指揮 三澤洋史)のメンバーには、最高の賛辞を捧げたい。合唱団は歌唱の面でも卓越した水準を示し、終結近くピーターのもとへ押しかけようとする場面での激昂の合唱などには、言い知れぬ凄みさえ湛えて、このオペラの主役としての責任を完璧に果たしていた。
 村人の衣装が礼服調だったのは、トレヴァー・ヌン演出(05年ザルツブルク復活祭 METとの共同制作)ともやや共通しているが、このデッカーのプロダクションもその頃作られたものだったのでは?

 題名役ピーター・グライムズを歌ったのは、スチュアート・スケルトン。漁師小屋や海岸の場面などでは熱演であった。粗暴さもよく出ていたと思うが、この男の複雑きわまる性格を出せるようになるのは、まだこれからだろう。往年のジョン・ヴィッカース(79年ロイヤル・オペラ初来日公演 モシンスキー演出)のような異常性格者的な野趣は極端例としても、――たとえばロバート・ギャンビル(05年 前出)が演じた、真面目な青年が村人の異常な虐めに遭って精神的に荒廃して行くといったような形での――性格の変化という微細な描き方も欲しい所ではあった。

 彼への理解者であるバルストロード船長にはジョナサン・サマーズ、この人は大ベテランで巧く、演技と歌唱に滋味もある。
 ラストシーンでピーターに沖へ船で出て死ぬよう引導を渡す瞬間の「Good-bye, Peter」という言葉が聞き取りにくかったのは惜しかったが・・・・(ザルツブルクでジョン・トムリソンがここを震え声でやった時は、感動的だった!)。

 女性陣は、彼に好意と同情を寄せる女性エレン・オーフォードを演じたスーザン・グリットン、その友人アーンティを演じたキャサリン・ウィン=ロジャース、いずれも安定した好演。
 噂好きで詮索好きのセドリー夫人を演じた加納悦子は、残念ながら、おとなしすぎる。もっとあくどい人物描写が必要だろう。特に後半、村人をピーターにけしかけるアジテーターになるあたり、魔女的な凄みがないと、オーケストラが奏でるあの不気味なモティーフとの釣り合いが取れない。

 指揮はリチャード・アームストロング。剛直で無骨な、がっしりとした演奏を構築していた。しなやかさは殆ど無い。だが、ピットでの東京フィルをここまで引っ張ったのなら、まずは御の字ではないか?

 カーテンコールでは、デッカーも挨拶に現れた。ブラヴォーはいくつか飛んだが、ブーイングは出ない。彼は練習の時からかなり長期間滞在し、演出も今回に合わせてあちこち手直しし、念入りに上演準備を重ねたとのことである。渋い舞台ではあったが、よく出来ていた。今回の上演の成功に際しての功労者は、まずこの演出家、次に合唱団であろう。
 スケルトンはこのカーテンコールでピットを見ながら荒々しい大見得を切ったが(何の意味だか解らない)、この時の方が、本番での演技よりもよほど凄味があった・・・・。
 9時半終演。

コメント

ウィリー・デッカー演出の作品は、好きです。安心して心理劇(サイコドラマ)の世界に入っていける。
音楽面(歌手・合唱陣)はできていて当然。。という印象。
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やっと、お国別の偏重気味(イタリア・ドイツ)から、脱出の機運か。
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では、そろそろ、退廃音楽のレッテルを貼られた作曲家(コルンゴルドを含む)。
来年は、ヒンデミット没後50年。Verdi、Wagnerで騒ぐのはいかがなものか。
ヤナーチェクもやってない。ベルリオーズ(Le Troyens)。
震災直後で没になった、借り物の’マノンレスコー’。
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需要と供給。今回はZ席を求めて、前日の夜から並ぶ人も居る。それが、より増える。ことも良い意味での大切なこと。<デフレだからではない>列が増えることの需要と供給。
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シーズン1作目として、満足。。。
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この演出家で次に見たいもの。もちろん借り物を、新国では、音楽新更訂の新演出で、「死の都」「ルル(3幕版=パリで上演しているものの方、ウイーンではなく)」。
前回の「ルル」の演出家は、今シーズン、別のハウスで新演出にかけたから。再演の期待ができないのだし。前者(コルンゴルド)は、世界数ヶ国で上演したのだし。
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シーズン始めか、クリスマスプレミエ扱いで。観たい。
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