2017-11

9・17(月)東京二期会 ワーグナー:「パルジファル」最終日

    東京文化会館大ホール  2時

 公演4日目、別キャストの2日目。
 こちらのキャストもなかなか強力だ。パルジファルを片寄純也、クンドリを田崎尚美、アムフォルタスを大沼徹、グルネマンツを山下浩司、ティトゥレルを大塚博章、クリングゾルを友清崇、といった主役陣。
 花の乙女や小姓(女声は看護婦)など脇役陣に至るまで完全ダブルキャストというのは、二期会の歌手の層の厚さを示すものだろう。

 私が特に感心したのは、アムフォルタスの大沼徹と、グルネマンツの山下浩司。
 前者は先日「オランダ人」の題名役を聴いて強い印象を得、このブログで絶賛したばかりだが、今回の「病める王」での歌唱表現と演技も、明快さと激情とを充分に表出していて、なかなか見事なものだった。
 後者はいつぞやの日生劇場「カプリッチョ」でのラ・ロッシュ役も大賞ものだったし、底力のある声の役柄になるとさすがに巧い(フィガロよりずっといい)。歌唱も歯切れがいいので、老騎士グルネマンツも壮者を凌ぐ気魄の持主、といった趣になるけれども、それはそれで一興だろう。

 クンドリを歌った田崎尚美は今回初めて聴く機会を得た人だが、噂ではまだ20代とか? 舞台映えする容姿だし、声にも力があるし、演技力もなかなかのもの(ほとんど歌わない第3幕でも念が入っていた)で、これは楽しみな人である。
 パルジファル役の片寄純也も大健闘で、風貌にも迫力はあるが、この役には今一つ「悩める愚か者」という陰翳が欲しい。第3幕では声に少々不安定さも感じられたが、そもそも「中1日」でこの役を歌うということ自体、大変だったろうと思う。
 なお初日(13日)の項では書き落としたが、二期会合唱団もよくやっていた。ただ、男声・女声ともに、もう少し緻密さが欲しいところでは?

 飯守泰次郎の指揮は、初日よりややテンポが伸びたかもしれないが、やはり彼ならではの滋味と愛情がスコアのどの頁にもあふれた、素晴らしいものだった。
 読売日響も、凄い馬力である。お疲れ様と申し上げたい。そもそも「パルジファル」を3日連続で演奏するオケなど、どんな歌劇場にも存在しないだろうから(これは飯守も同様だが)。今日の演奏も――1階16列あたりで聴くと――量感は充分、重厚で翳りのある響きが快い。第3幕の「聖金曜日の音楽」あたり、とりわけリキが入っていた感がある。指揮者もオーケストラも、賞賛に値する演奏であった。

 グートの演出については、13日の項で述べた通り。いくつか付け加えれば、第1幕ではティトゥレル王は身体不調ながらも歩行可能であり、息子アムフォルタスの部屋に自ら出向いて聖杯開帳儀式の執行を強要、自ら聖杯を運んで行ってしまうという設定。彼がドアをたたく重々しい音が不気味な雰囲気を出し、アムフォルタスを恐怖に陥れる様子も原作のト書より迫力を感じさせる描き方になっている。父に縋って哀願するアムフォルタスの苦悩は、父と子の葛藤でもあり、私はこの描き方が大変気に入った。
 またラストシーンで、クンドリが魔の花園での衣装と聖杯の国での衣装とを共に焼却して過去と訣別、かつパルジファルの恐るべき変身を見届けるや、もはや未練はないとばかりにスーツケース片手に早足で立ち去って行く場面も――よくある手法だが――悪くない。

 一方、パルジファルがクリングゾルから聖槍を奪還する場面は、何だかよく解らないという感じもある。「聖金曜日の音楽」の場面で投影される映像は、欧州人でないとあまりピンと来ないという内容で、些か煩わしくもあった。

 音楽的にも演出的にも内容が豊富なので、思いつくまま書いているとキリがない。何はともあれ――業界用語だが――おめでとうございますと申し上げておこう。

 なお、今回の公演プログラムに載せた拙稿の中で、一つどえらいミスがあった。バイロイトでの最新の「パルジファル」の演出家名が、ヘアハイムでなくノイエンフェルスとなったままだった。本来ならプログラムに訂正を挟み込むべきところだが、気がつくのが遅かったので、御迷惑をかけてしまった。謝罪する場所も機会も最早ないので、とりあえずここで深くお詫びすることとする。

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ラストシーン 再会、和解したアムフォルタス(右)とクリングゾルの「兄弟」
写真:三枝近志  提供:東京二期会

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二期会「パルジファル」(9月15日)

セカンドキャスト。充実した上演でした。
歌手は全員良かったですね。バランスが取れていました。
(演奏が心地よく、時々うとうと…、気づいたらブランコが下がっていた…という場面もありました)。
4日公演するのだから4日とも満席…にはならないとしても、上演の質を考えると少し客席はさびしい気がしました。

東条さんの初日公演評(ファーストキャスト)を拝見すると、ファーストキャストと比較してみたくなったのですが翌日続けて5時間鑑賞する気力はなく断念しました。

比較できないことを残念に思っていたところ、思いがけず東条さんが最終日(セカンドキャスト)を鑑賞され公演評を掲載されていたので拝見し、間接的に比較を楽しみました。セカンドキャストもファーストキャストと遜色なかったのだと安心しました。

大沼徹が聴きたいためにセカンドキャストを購入しましたが、15日は初日の固さがあったような…。初日について演技面では東条さんの評価程ではなかったような気がします(後半は良かったです)。イアーゴ役以来のファンでありながら、東条さんが褒めていらっしゃる「さまよえるオランダ人」公演は聞いていないのですが、大沼徹の名前があると出来るだけ観る(聴く)ようにしています。
パルジファル役の片寄純也は東条さんが鑑賞された日は第3幕で不安定だったとのことなので、もしかしたら15日公演の方が良かったかも知れません。

カーテンコールでは主要歌手の皆さんが皆安堵の表情だったので演技などなど相当たいへんだったのではないかと感じました。カーテンコールで並ぶと皆さんそれぞれに美男美女で改めて視覚的にも良い公演だったと感じました。

クンドリの田崎尚美はロビーに応援の花が出ていましたが、カーテンコールでは私の後ろの席の一団が「尚美ちゃーん」と叫んでいました。ご家族・ご友人・ファンの方々ということだと思います。

最後の場面
パルジファルの最後の服装は最近指導者が変わったアジアの某国を連想させました。
欧州ではどういう感じであの服装を見るのでしょうかね。ヒットラーですかね。
クンドリはトランクを持って出て行きますが、ある国を立て直そうとして乗り込み、結局前より混乱させてしまうどこかの国を象徴的に表現しているようにも感じました。クンドリは今度はどこの国に行くの…という感じの終わり方。

グルネマンツの役どころ?
この作品ではグルネマンツがずっとメモを取っているのですが、どういう意味があるんでしょうか。
ふと、ボリス・ゴドゥノフのピーメンを思い出すのですが、その時々の為政者の言葉を書きとっている…感じでもあり、為政者の都合の良い歴史を作る人?というようにも取れました。

今回の演出
パロディ的と言えるのかも知れませんが、笑うような演出の場面はありますでしょうか。
私の隣の席の人(女性)はダンサーが登場しては鼻で笑い、子どもっぽい雰囲気のパルジファル登場を鼻で笑い…としょっちゅう笑っているので音楽に集中するどころでない…という感じでした。
花の乙女の場面では他の人も笑っていましたが…。
また、最後に兄弟が肩をたたき合う…にはさすがに私も「あれれ、そういうことか」と冒頭の場面のことを思い出してニヤリとしましたが…。

ダンサーが初めに登場した時はどんな意味があるのか…と疑問に思いましたが、戦いで病むのは肉体だけでなく精神も…という昨今の軍人の要素を示しているということなのだろうと途中からは納得しました。

映像
パルジファルが裸足で走る、智を得てからは靴を履いて走る…以外の映像はなかったような記憶ですが「聖金曜日の音楽」の場面で投影される映像は何でしたっけ?
ここも気持ちがよくてうとうとしていたかも知れません。

提灯みたいなものはジャポニズムか…と書いている人がいましたが、提携先の劇場での先行公演の写真にもこの提灯はあったのでジャポニズムという訳ではないですね。

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