2020-04

9・15(土)ワシーリー・シナイスキー指揮東京交響楽団

   サントリーホール  6時

 シナイスキーの指揮を久しぶりに聴く。
 20年前と比べ、基本的にはあまり変っていないようだ。ただ、オーケストラの鳴らし方はずっと緻密になり、引き出す音楽にも温かい味が増したように感じられる。もっとも、良い時の東響なら、指揮者が誰であろうと、このくらいの音は出す。

 前半は、モーツァルトの「ピアノ協奏曲第27番変ロ長調」。
 ささやくように波打つ弦の柔らかい音色。音楽監督スダーンによる引き締まったノン・ヴィブラートのモーツァルトとは正反対の音楽で、東響の弦もまだこういう弾き方をすることもあるんだ(当たり前だ)などと妙な納得をしながら聴いていたが、――シナイスキーはきちんと綺麗に指揮するものの、瑞々しい息吹も躍動感も皆無の、ただ柔らかいだけのモーツァルトが続くのみで、さっぱり面白くない。やっぱり、昔ながらのシナイスキーだ。
 ソリストのデジュ・ラーンキが繰り広げるモノローグ的に沈潜した、しかしヒューマンで温かい演奏が救いだった。

 休憩後に演奏されたショスタコーヴィチの「第4交響曲」は、舞台を埋め尽くした大編成の東響が轟かせる大音響の痛快さ。
 シナイスキーもさすがにお国もの、すこぶる巧くオーケストラを整え、バランスよく構築する。だが、やはり予想通り。この作品に備わっているはずの、あの「魔性」が全く伝わって来ない。ショスタコーヴィチが迫り来る破滅的な世界を予感して書いた、あの身の毛のよだつような恐怖感が、この演奏からは全く感じられないのだ。ただ堂々と、轟々と、均衡を保った音が鳴り響くのみである。これでは、初期のショスタコーヴィチの音楽の本当の凄さは、味わえないだろう。
 東響は巧かった。イングリッシュ・ホルンのくだりも見事だったし、とりわけ私の大好きな、チェレスタとハープが語る謎めいた終結の個所は、この上なく美しかった。

コメント

ラーンキ氏にとって心もとないバックだったと思われ、少々気の毒と感じております。第二楽章は、生を聴きに来てよかったなという、ピアノでした。
 得てして、モーツアルトを聴きに来て、ほかのプログラムに食われる感の、コンサートが多く、今日もまたかと思いました。
 後半プログラムは、熱演のオーケストラ。
その点、先日のコチュシュ氏のコンサートの方が、通して完成度が高くよかったと思ってます。

17日の、みなとみらい で聴きました。
モーツァルトの27番は、初めて聴きます。けど、この作品のレコードを、1960年代のバレンボイムの弾き振りのイギリス室内管のときから。なじんでいました。
ラーンキのピアノ、良かったです。アンコールも良かったです。
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ショスタコSym No.4。グローバルな都会的音楽の響き。1楽章のムチェンスク郡のマクベス夫人を思わせるようなところGOOD。
3楽章目が、良かったです。特に最後<<チェレスタとハープが語る謎めいた終結の個所>>、パロディも時を経てば、怖いことに化けていく(粛清)が待ち受けている。この作品の初演に時間がかかることの予言と同じく。表現の自由への挑戦かさらなる粛清を自ら避けるのか。月日の流れを耐え忍ぶように。
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タムタム担当の女性奏者の方、お疲れ様です。右手首、安静にしてくださいね。。
手を温めて養生してください。。。。。

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