2017-11

2・20(水)二期会公演 ワーグナー:「ワルキューレ」初日

  東京文化会館

 二期会にとってはこれが4度目の「ワルキューレ」になる、と栗林義信理事長がプログラムの中に書いている。そういえば、私もそれらをすべて観てきた。いずれもそれぞれの時代の歌手やスタッフが全力を挙げたプロダクションだったし、愉しめるものであった。
 その第1回(1972年、日本人による日本初演)の時に指揮をして、われわれに大きな感銘を与えた飯守泰次郎が今回再び登場し、あの時をさえ遥かに凌ぐすばらしい演奏を聴かせてくれたのは、大いなる喜びである。

 彼のワーグナーは今日、疑いなく世界の第一級品である。音楽に深い感情がこもっていて、ワーグナーの精緻なスコアが持つ複雑な陰翳を見事に織り上げる点では、そんじょそこらのカタカナ文字指揮者なんかの演奏より、ずっと優れているだろう。「ヴォータンの告別」のあの感動的なクライマックスの個所などでも、彼は36年前と同様、ことさら作為的な大芝居をすることなく、自然で壮大な盛り上がりを創ってくれた。
 これで東京フィルがもっと強靭な、分厚い弦楽器の響きを出してくれれば鉄壁の演奏になったはずだが、惜しむべし。それでもまあ、いつもの(ピットに入った時の)東京フィルよりはマシな演奏といえたかもしれない。ともあれ、今回の上演の成功の第一に挙げるべきは、飯守泰次郎の円熟の指揮であった。

 ジョエル・ローウェルスの演出はやや小粒だが、かなり緻密に考えられていて、論理的にまとまっている。特に奇を衒ったものではないので、音楽から注意を逸らされることがないだろう。
 冒頭場面と大詰め場面にローゲがヴォータンに諂うがごとくへばりついて姿を現したり、第1幕幕切れでフリッカが背景でヴォータンに若者二人の「不倫」を指し示したり、第2幕冒頭にヴァルハラ城内の宴の場面が設けられてすでにフリッカが登場していたり、第3幕で娘ブリュンヒルデへの感情の揺れを表わすヴォータンをフリッカが威嚇したり、という新機軸は少々説明過剰で、しかも歌詞と全く矛盾する結果を招くような個所も多いが、それはまず措くとしよう。とにかく、フリッカがいたるところにしゃしゃり出てはヴォータンの意図を片っ端から打ち砕くというのは、着眼点としては面白い。
 ただし、幼女時代のブリュンヒルデや、妊婦姿で森を行くジークリンデをイメージ的に出して見せたりするのは、近年よく使われるテだが、今回のは少々野暮ったく、なくもがなの感。

 そうはいっても、私が最近観た「ワルキューレ」の中では、石井リーサ明理の照明を含めたこのローウェルスの演出と装置は、ステファーヌ・ブランシュヴァイク(エクサン・プロヴァンス音楽祭)やスヴェン=エリック・ベヒトルフ(ウィーン国立歌劇場)などのそれより、よほど丁寧に作ってある舞台に感じられた。これは、国内制作プロダクションへの欲目だけではないだろう。
 今回の演出で、どこか一つ印象的な場面をと言われれば、第2幕の「死の告知」の場面を挙げよう。ここは雪と、白々とした照明が絶妙な効果を上げていた。

 歌手陣では、やはり小山由美のフリッカが貫禄。ト書きに無い頻繁な登場だったが、この人のおかげで舞台は随分引き締まったであろう。
 小森輝彦のヴォータンは声質・演技ともに重みに不足しており、これでは妻に罵倒され娘に叛かれるのも仕方ない、という趣きになってしまったが、「ラインの黄金」時代のヴォータンであればまだ一理あったかもしれない。ブリュンヒルデの横山恵子は大健闘だが、声楽表現と演技に「落ち着きすぎ」のような感なきにしもあらず。ジークリンデを歌った橋爪ゆかは未だ荒削りながら勢いが良くて今後に期待が持てる。なお黙役だが、奇怪で醜悪な姿のローゲを演じていた桜観(さくみ)という人の見事なパントマイムが印象的だった。こういう個性的な助演者がいて、舞台は更に引き締まるのだ。
 

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