2024-03

2012・7・27(金)会津の新作オペラ「白虎」初演

    會津風雅堂  7時

 1868年8月23日、「戊辰の役」における会津籠城開始の日、飯盛山上で自刃した白虎隊士20人のうち、ただ1人生き残った飯沼貞吉を主人公とする新作オペラ。

 宮本益光の台本、加藤昌則の作曲で、佐藤正浩が指揮、岩田達宗が演出。飯沼貞吉役を経種廉彦、その改名後の貞雄役を高橋啓三、家老の西郷頼母を黒田博、その妻・千恵子を腰越満美という配役。その他、舞台に登場するのは白虎隊士数人と、コロスの役割をする合唱団のみである。

 かように、コンパクトな規模に作られている。
 物語も、白虎隊士・貞吉の出征から生還までを、西郷の妻・千恵子の壮烈な自刃を交えて全2幕形式で描いているが、これを休憩なしの70分ほどの長さにまとめ、象徴的に、かつ集約した形にしている。
 だが、たとえ短くても小規模でも、必要なことは過不足なく語り尽されている。その意味ではよく出来たオペラといえるだろう。

 実際、宮本益光の台本が、うまくまとめられているのには感心した。
 当時の会津藩にも、徹底抗戦派、非戦派、悩みながらも戦争に巻き込まれて行く人々など、さまざまな立場があったことは周知の事実だ。
 オペラでは、非戦派の代表格として有名な家老・西郷頼母を一方の極に、また純粋に会津藩の武士として名誉に殉じようとする白虎隊士・飯沼貞吉を対極に置き、特に2人の口論の場面で、その葛藤と対立を明確に象徴する。
 さらに、非戦派の夫に理解を示しながらも、貞吉には会津武士の心得を説き、籠城の日に「戦の足手まといになるゆえ」と娘たちを道連れに壮烈な自刃を遂げてしまう千恵子を一方の極に置き、かたや自刃に失敗して生還し苦悩する貞吉を対極に配して、おのおのの立場と矛盾を描き出す。

 このように、会津藩内部における葛藤を簡略かつ明確な形で浮彫りにしながらも、歌詞のあらゆるところに「会津の苦悩」のキーワードとなる表現を実に巧く織り込んでいる――これは、会津の歴史を知悉している人々でないと解らないものだ――ことに、私は驚き、舌を巻いた。台本作家・宮本は、戦記集から「燃える白虎隊」のような読み物にいたるまで、よほど詳しく研究したのだろう。
 また、会津藩をことさら自虐的に描いたり、取って付けたような平和論や反戦論を織り込んだり、貞吉に恋人を作って恋愛場面を折り込んだりするような陳腐な手法を全く採らずに、ただ率直に悲劇を描写している点も好ましいと思った。

 音楽と演出との絡みの面から言えば、まず舞台後方に白装束の女声合唱が並び、「虚言(うそ)をついてはなりませぬ。卑怯なことをしてはなりませぬ。・・・・ならぬことはならぬものです」という、会津藩の少年たちへの家訓を歌う。貞吉を支える「精神」の象徴である。
 それに対して、舞台の上手と下手の紗幕の中に配置された男声合唱が、「宮さん宮さん、お馬の前に・・・・」を執拗に反復する。これは西軍――会津では「官軍」という言い方はご法度だ――を象徴する歌である。
 この2つの合唱の対比は、シンプルな手法ながら、ドラマの構図を解りやすくするだろう。

 個人のドラマは、中央のスペースで展開される。この構図は、終始一貫して保たれる。岩田達宗の演出は一貫して極めて簡略明快で、理解しやすい。

 加藤昌則の音楽は、伝統的手法に基づいてはいるが、安易に民謡などを取り入れることなく、また言葉を一音ずつ引き延ばして歌わせるような方法も採らず、どちらかといえばレチタティーヴォに近い――といって誤りならば、言葉のリズムやアクセントを大切にした音楽づくりで歯切れよく畳み込む。オーケストラの編成も比較的大きいので、ダイナミズムには事欠かないだろう。この音楽の逞しさが、オペラを引き締めていたことは事実だ。
 ただ、「会津」のアクセントを「合図」と同じものにしていたのは、昔の会津人にはそぐわないのではないか? それと終結近く、音楽に総休止がだんだん増えて行くが、これは日本のオペラに多い「長すぎるエピローグ」の感を強くしてしまいかねない手法だろう。

 佐藤正浩が率いた「オペラ白虎特別編成オーケストラ」は、プロのメンバーを集めたものとの話だが、すこぶる優秀である。
 それにもう一つ驚異的な素晴らしさだったのは、「オペラ白虎合唱団」と名づけられた合唱だ。プログラムには、福島県立会津高校合唱部、会津若松市立第四中学校合唱部に、一般参加の混声合唱、東京音大からの賛助出演者7人、男声合唱8人(これは白虎隊士役か?)がクレジットされていた。福島県といえば合唱が盛んなところと聞いているが、これは見事というほかはないアンサンブルと力感であった。合唱指揮と、上演での副指揮は、辻博之がつとめていた。

 そして、粒ぞろいのソロ歌手陣4人には、文句のつけようがない。腰越満美は本当に日本女性の鑑みたいな雰囲気で、自決の場面など凄味充分なものがあったし、経種廉彦は、いちずな白虎隊の少年をストレートに表現していた。
 貞雄役の高橋啓三も滋味充分で当り役といった感だが、ただこの「のちの時代の老人役」が、戊辰戦争の現場に「若き日の自分」と交錯する設定は、ちょっと解りにくい。この時間と空間の扱いについては、再演の日までに一工夫あらんことを。

 同様に、西郷頼母を演じた黒田博も、押し出しといい、説得力のある歌唱といい、立派なものだが、「命を捨てて何になる・・・・生きることこそ肝要」と説く非戦派の領袖としての存在感を出すには、もう一つ演出の上で明確な手法が欲しい・・・・これも岩田達宗の手腕に期待しよう。

 会場の「會津風雅堂」は、鶴ヶ城の近くにある、日本風の「蔵」のイメージも出した大きな建物である。ホールは1・2階併せて1700ほどの客席があり、残響はそれほど長くないようだが聴きやすい音で、1階客席も傾斜が大きく取ってあるので舞台も見やすい。
 今回は「もぎり」に小学生のヴォランティアも参加していた。この女の子たちが一所懸命チケットを切っている姿を見れば、誰しもが顔をほころばせるだろう。


 蛇足として告白すると、私の父方の先祖は、代々会津藩の松平侯の御典医だった。
 籠城の日、曾祖父は藩に殉じる覚悟で医者として城内に留まり、若年で徹底した合理主義者の、非戦派だった祖父は、城から出た(結局領内からは出られず、榎本武揚らに合流して函館五稜郭に赴き、敗れて東京で榎本や大鳥圭介らと同じ牢に入り、許されてのち外務省に入るという妙な経歴を辿るのだが)。
 私の家はこれを境に、飯盛山麓の先祖の墓地との関わりを持つ以外には、会津とは訣別している。だが30年ほど前、父と同世代の会津の親戚を訪ねた際、「あんたのお祖父さんは、会津を捨てて薩長の政府に入った」と言われ、その歴史体験の凄まじさに、衝撃を受けたものである。
 飯盛山にあった藩政時代の墓は、背後の崖崩れがひどくなったため、昨年秋に東京に移した。

コメント

日本版ライブビューイングないかしら

會津風雅堂での「白虎」、福島(会津)で実現されたのに拍手ですが、時代物の邦画みる感覚で、東京でも観たいものです。METライブビューイングの日本版でもいいですけれども、記録映像あればと願います。
大河ドラマではありませんが、日本史上ストーリーでオペラになりそうなドラマティックなものありそうですし、オペラの舞台装置になるような城郭や街にも事欠かないでしょう。明治時代以前のコスチュームもインパクトがありそうです。
コンサートを聴きに行く日常の私にとっては、このような非日常風の公演を取り上げていただき感謝です。

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