2019-08

7・10(火)ミュンヘン・オペラ・フェスティヴァル ワーグナー:「ラインの黄金」

   バイエルン州立歌劇場  7時30分

 アンドレアス・クリーゲンブルクのこの「指環」演出は、大方の評判はすこぶる良いようである。

 とはいっても実際は――この「ラインの黄金」では、開演前から舞台上には白衣(男の衣装はいわばシャツとステテコみたいな形状だ)の若い男女が数十人、飲んだり食べたり雑談したり、舞台スタッフらと打ち合わせをしたりしながらたむろし、それが突如として全裸に近い姿となって体に青い染料を擦りつけ、舞台一杯に拡がり倒れて絡み合うシーンに変わる。それと同時に演奏が始まる、という仕組である。

 こういった光景は、「モーゼとアロン」などのような近・現代オペラでなら違和感はないが、「ラインの黄金」のような、あの神秘的な序奏の音楽に対しては、およそ不釣合いな舞台でしかない。これで評判がいいかねえ、と、途端に拒否反応に近い心理状態に陥る。しかしその印象も、ドラマが進むにつれ、・・・・。

 その前に、何よりもまず、音楽に敬意を表しておきたい。
 今回入手した席は1階4列目だったが、この位置からは、オーケストラをこの上なく明晰に、しかも柔らかいふくらみのある響きで聴くことができる。「指環」の精緻かつ壮大な音楽を、内声部までクリアに聴き取るのに、これは絶好の位置かもしれない。そして、バイエルン州立歌劇場管弦楽団の、何と音が良く、しかも上手いこと! 

 ただし、ケント・ナガノの今夜の指揮は、異常なほどにテンポが遅い。演奏時間も、おそらく2時間35分くらいか、それ以上かかったのではなかろうか。「ローゲの物語」をはじめ、ピアニッシモや叙情的な個所では流石に美しかったが、このテンポでは少々もたれる。しかも彼のは、「草食系」のワーグナーである。いずれにせよ、今夜ほどこの曲の長さを感じてしまったことは、かつてなかった。

 歌手陣はやや地味ながら、全員手堅く、安定していたのは良かった。ヨハン・ロイター(ヴォータン)、ヴォルフガング・コッホ(アルベリヒ)、ウルリヒ・レス(ミーメ)、ステファン・マルギータ(ローゲ)、ソフィー・コッホ(フリッカ)、キャサリン・ウィン・ロジャース(エルダ)、トルステン・グリュンベル(ファーゾルト)、フィリップ・エンス(ファーフナー)・・・・他といった顔ぶれ。
 特にヴォークリンデ役で出ている中村恵理が、他の2人のラインの乙女とともに素晴しい歌唱を示していたのは嬉しい。

 話は演出に戻る。
 最初のシーンでは、煩わしいねこういう舞台は、と私が思ったのと同時に、私の後ろの女性客が不満そうな唸り声を上げていた。
 ただ、「ラインの川底」の場面で、その絡み合う肉体群が、あたかも河の波のようにうねり、盛り上がり、アルベリヒを揶揄するかのように押し寄せたりしてドラマを彩って行くのを見ているうちに、そういうダンスの使い方も悪くないなと思うようになる。しかもその動きが、音楽の動きと極めてよく合致しているのが好ましく、これで抵抗感も多少は減衰する、というわけだ。

 これなら、同じダンスでも、スカラ座のカシアス演出のような、オペラの登場人物の横でダンサーが終始ウロチョロ踊りまくっている煩わしい舞台よりは余程マシであろうと思う。
 10年以上前に、ゲルギエフとマリインスキー劇場の「指環」が舞台上にダンスを取り入れた時には、ドイツ哲学指向(?)のワグネリアンたちからはクソミソに叩かれたものだが、今ではあちこちの「指環」が堂々とダンスを取り入れる風潮になった。

 このダンサー群は、「山上の場面」になると、舞台後方に後向きに整列し、あたかもヴァルハルの城壁か何かを連想させるような形状になる。あのラ・フラ・デルス・バウス演出のようなアクロバット的壮大さはないとはいえ、人間の肉体というものをオブジェとして扱う手法として、これはこれで一つの考え方だろう。

 もっとも、巨人ファーフナーとファーゾルトが乗って出て来る巨大なサイコロの如き正方形の物体が、その2人と全く同じ顔、同じ服装の者たちを、フログネル公園の人体群彫像をもっとグロテスクに押し固めたような形状をしていて、これは何とも不気味極まるものだ。
 これは、一将功成って万骨枯る――とでもいうか、ヴァルハル城建設に際し如何に多くの巨人たち(労働者)が犠牲になっていたかを暗示しているようにも見える。この巨大な正方形物体を力一杯(キャスターが付いていないので、御苦労様だ)あちこち押して回る「黒子」も、実は巨人たちと同じ服装をしているので、ファーフナーたちに従う――つまり報酬の恩恵に授かることもない――奴隷的な存在と解釈することも可能なのだろう。

 奴隷といえば、ニーベルハイムの場面では背景に重労働に従事するニーベルンゲン族の姿が終始見えているが、その中の「疲れて死んだ者」たちが穴に蹴落とされ、たちどころに火葬にされるという光景もある。
 何ともどぎつく、胸の悪くなるような場面ではあるが、演出意図の一環としては、充分に理解できるものだろう。

 なおラストシーンでは、例のダンサーたちによる「ライン河」が舞台前面に展開し、ラインの乙女たちも舞台上で歌う。何かごちゃごちゃした場面で、これはどうもあまりピンと来ない光景だ。
 ところでこの「ダンサーたち」は、言っちゃ何だが、その体つきから見て、必ずしも専門のバレエ・ダンサーではないらしい。公式プログラムには河に寝そべる「普通の」ヌーディスト軍団みたいな写真が載っていたが、舞台上でそれを見せつけられなかったのは幸いでもあった。

 各キャラクターの演技について記録すれば長くなる。クリーゲンブルクの演出はかなり細かい方に属するだろう。人物の動きにも活力が感じられて好ましい。
 ファーゾルトが殺されたあとのフライアの絶望ぶりを強く描くのは別に珍しい演出ではないが、ファーフナーが彼を殺す時に、ローゲから手渡された仕込杖の刃物で刺殺するという解釈は、ローゲの悪辣ぶりを暗示する点で、面白い。
 またエルダから「神々の終焉」を予言されたヴォータンの衝撃が一般の演出よりも非常に強く描かれているのも、このあとの物語の伏線として、いいアイディアであろう。幕切れでローゲが神々を揶揄する独白をヴォータンが聞き咎め、怒りを爆発しかけるのを、ドンナーにより制止される――という解釈の演出も行われている。

 演奏終了は10時17分。

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