2017-08

6・1(金)新国立劇場の新制作 ワーグナー:「ローエングリン」初日

   新国立劇場  5時

 開場時に上演されたヴォルフガング・ワーグナー演出版以来の、15年ぶり2本目のプロダクション。大成功。

【卓越したロザリエの舞台美術】
 何よりもまず、ロザリエの舞台美術(および光メディア造形)を讃えたい。
 これは、新国立劇場のオリジナル制作の中でも、最も美しい舞台の一つであろう。いや、美しさの点では、もしかしたらベストの存在と言っていいかもしれない。
 現代アートを思わせる舞台装置は、一見シンプルながら細緻精微を凝らしたもので、その華麗さは幕を追うごとに増す。第3幕では花を模った3つの巨大なオブジェが輝くばかりの視覚的効果を生む。吊り装置やセリもいろいろな場面で活用されるので、スペクタクル性にも事欠かない。

 第2幕の最初でエルザが佇むバルコニーが、輝きつつ宙に浮いた形で舞台上手側から出現する効果にも感心した(実際は吊り装置だそうだ)が、そういえば1994年のバイロイトで彼女が美術を担当した「指環」でも、「ヴァルキューレ」第2幕ではヴォータンが空中高く浮かぶ虹のような橋の上に立っていた。ロザリエはそういうのが好きなのかもしれない。
 第1幕最後の場面で背景に花火のような光デザインが投影されるのだけは少々野暮ったいが、眩さと暗鬱さとが交錯する照明演出は、極めて美しい。

 なおロザリエは「衣装」も担当している。こちらは、悪くはないが、多少変なところもある。第1幕でのエルザの衣装について「スカートが短いッ」と言った人もいたが、これはエルザ様の体型に由るところもあるだろう。ブラバント貴族のいでたちも、第2幕では討入り義士か特攻隊みたいに見えてしまうところもあった(日本人合唱団員だと尚更だ)。

【演出】
 ロザリエの舞台美術はしばしば演出を食ってしまう、とまで言われるほど、感性と個性の豊かなものだ。それゆえ、演出担当のマティアス・フォン・シュテークマンの領域に属する演劇的要素も、今回は、かなり霞んでいた。
 というよりむしろ、シュテークマンは、初めから演出は交通整理程度にとどめ、ドラマとしての展開はロザリエの「光とオブジェ」にお任せしてしまった、としか見えない。
 何もネズミの大群を登場させたり、家を建てたり燃やしたりするような煩わしい演出などやらなくてもいいが、心理表現的な演技はもっと導入してもよかったのではないか。

 ただし、良かったところもある。第2幕の最後でオーケストラが雄弁に響かせる「禁問の動機」の際にオルトルートを登場させず、むしろそのモティーフのトラウマに耐えられなくなったエルザが独りヴァージン・ロードに卒倒する場面。
 また第3幕幕切れで、独り残されたゴットフリート少年が、ローエングリンが托していった剣を前に、ブラバント国の指導者となるべき責任の重圧に打ちひしがれ、崩折れる場面。
 この二つは、充分に心理描写的で巧みな演出と言えよう。強い印象を残した。

 総じて今回の舞台には、新国立劇場の舞台についてまわる「冷え」た雰囲気が全くなく、きわめて良いバランスが感じられた。シュテークマンの功績は、そこにあるだろう。
 そして、このような感覚的演出には、音楽をじっくり聴けるという利点があることはたしかである。

【充実の演奏】
 その音楽だが、ベテランのペーター・シュナイダーが、見事に東京フィルを制御して、豊かな低音を基盤とした剛直な音楽を引き出していた。
 第1幕の終結が最後までゆっくりしたイン・テンポだったこと、全体にテンポが硬直気味だったことなど、千軍万馬のシュナイダーもやはりトシをとったのかなと思わせるところもあったが、東京フィルをこれだけがっしりと鳴らし、新国立劇場合唱団を巧みにリードしたのは、流石の手腕と言えよう。
 東京フィルも、管楽器の一部に頼りないところもあったものの、このピットの中の演奏としては、かなり良い方に属する出来だったろう。

 歌手では、まずはクラウス・フローリアン・フォークトのタイトルロールに最高の讃辞を贈ろう。
 白鳥の騎士と呼ばれるにふさわしい容姿と上品な風格もさることながら、微細な表現力に富んだ歌唱も素晴らしい。以前、ウィーンで「死の都」を聴いた頃よりも声質が太くなって重みを増し、ワグネリアン・テノールとしての資質をいよいよ強めているようである。英雄的な力強い歌唱の部分と、第3幕の「聖杯の物語」における見事なソット・ヴォーチェの対比は非常に印象深いものがあった。当り役である。

 他に、巧みを増したリカルダ・メルベートが清純な張りのある声でエルザを好ましく歌い、ギュンター・グロイスベックが底力のある声で国王ハインリヒを滋味豊かに歌い、萩原潤も朗々たる伸びのある声で王の伝令を歌って外人勢相手に一歩も退かなかった。
 ゲルト・グロホフスキーは、妻オルトルートに乗じられ破滅する真面目な男といった性格描写でテルラムント伯を巧みに演じている。
 そのオルトルートを歌ったのはスサネ・レースマークという人で、悪くはないが、ちょっと苦しかったか? もっとも第3幕最後の大見得を楽々と歌えるオルトルート役など、そうは沢山いるものではない。

 ともあれ、総体的には、声楽陣も充実していて、これも今回のプロダクションを成功に導いた要素の一つと言えよう。10時頃終演。

【地震】
 強い地震があったのは、第1幕の中ほど、ローエングリンが「禁問の動機」に乗せて「私の名や素性について、断じて質問してはならぬ」とエルザに言い聞かせていた瞬間である。

 建物も揺れたし、舞台装置もかなりギシギシと音を立てて揺れた。劇場内は一瞬不安に包まれたが、舞台上の合唱団も、客席の人々も、微動だにしなかった。さすが日本人は、ちょっとやそっとのことではもう動揺しないくらい、度胸がすわって来ているんだな、と、何となく胸を打たれるような気持になる。
 日本人たちがあくまで冷静に構えているので、シュナイダーも指揮を止めず、演奏も停まらず、フォークトをはじめとする外人歌手たちも落ち着いていられたのであろう。ただ1人、エルザのメルベートだけがちょっとうろたえた様子で、ローエングリンの傍に走り寄ったが、何しろそこは、愛する救い主から「私の名を訊いてはならんぞ」と脅かされているところから、それが驚きの演技であったと説明されても通用するだろう。

 だが、この地震がもし数分早く起こっていたら、ローエングリンが吊り装置に乗って降りて来る場面にぶつかっていたはずで、――そうしたら、上演はめちゃくちゃになっていたかもしれない。危機一髪。

コメント

いつも、拝察しています。
<<「私の名や素性について、断じて質問してはならぬ」>>。
これは、不安をあおり、結婚生活があまり豊かなものには、ならない。ことを予定している問い。と同じ。
****************************
こんな話があります。ワーグナーの書いた時代を下降して、アインシュタインが自分の妻の結婚生活について、箇条書きにして、自分の妻に申し送りしている話があります。

あまりにも自己中心の心に貫かれすぎ、「この申し送り、どう思う?」といろんな人に問いかけたら、全員唖然とした。最後に、「これ有名な人の話だよ。」と。
******************************
<どうしても、知りたがる好奇心旺盛な人だけに教えました。>
*************************
人間には、会話を成立させるとき、4つのパターンしかありません。
<なにも云わなくても判る人><半分話すと判る人><全部話せば判る人><何を云っても結局ダメな人>。。。。エルザは、どっち。
************************
主人公の問いは、不安に落としいらせ、人間の深層心理を突いていく話。
************************

ロザリエの起用、大正解 です。
*************************
議論が絶えない炎上しやすいワーグナーオペラ。<<<<<<<管理人様の書いてあること以上に決して火をつけてはならない。>>>>>>>

オペラは、魔術に罹るからです。

コンサートのように、耳を流して聴けないからです。
************************
インターネットは、相手の心を見ないで会話が成立します。けど、ワーグナーの書かれた世界は、会話があった。いろんな色の心がありますよね。だから、ロザリエの色に興味と反応を示すんですよね。
**********************
音楽面は、できていて当たり前。。。。。演出よりも。ロザリエに最初から興味あり。

日本人向けなのかな?と書くと、話がおかしくなるから。
*******************************
1月からの上半期、やはり5月11日のオペラシティの夜の演奏会が、自分の上半期一位。東京交響楽団です。本当に不思議だけど、純粋に。スコアの処理というより、音の深みはこれからという指揮者なのに。そこから出た印象。ローエングリンのロザリエより、分野が違っても、やはり面白さは、音楽重視によって語られるべし。

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

衣装について

13日に見に行きましたが、大変盛り上がりました。しかしやはり衣装が...と私も思いました。1幕のエルザの白ワンピは膝丈でストッキングと靴が黒。一見無垢に見えるエルザだが、邪悪な部分もあるということで、ストッキングと靴を黒にしたのでしょうか。体型カヴァーではなく。2幕、3幕のロングドレスは良。ブラバントの人々は、1幕では引っ越しセンターの作業員、2幕は道路工事作業員に見えてしまいました。ああいう服装で戦いに勝てるのか?と心配してしまいます。オルトルートは黒と赤のドレス、4人の貴族は黒づくめにサングラスで、工夫がないなあ。3幕の室内の場面で、フォークト様は白のダボッとしたシャツとズボンでしたが、肩幅が広く胸板が厚く足も長いので、さすがうまく着こなしていました。

歌よし、顔よし、人柄よしの「反則野郎」

遅ればせの投稿です。

結局、初日+休日中日+楽日と複数回参戦。極めてレベルと満足度の高いプレミエでした。

ひとえに、歌よし、顔よし、人柄よしの反則野郎(=フォークト様)の独壇場。
去り行く騎士に涙した日本人女性はエルザにどどまらず多数。持ち前の透明感に、重みの幅も少し加わった進化形の歌唱フォームはこの役の理想形で、家人妄言していわく、『ホフマン越え!』
しかし、崩れることなく一種完成されすぎた歌唱スタイルを毎回聴かされると、取りつくしまも無く、またスリルにも欠け単調なり、と皮肉も言いたくなる。その意味でも、オルトルートではないが、「名乗りの歌」の都度、『追い払ってくれてありがとうよ!』と云う気持ちにさせられるのは、名歌唱の証なのか?個人的にこの騎士のいかがわしさが好きになれないことも影響しているかもしれない。(名前を問うてはならぬといいながら、オペラの題に書いてあるじゃん・・・?)

シュナイダー先生の骨格のしっかりとした先を急がぬ指揮は絶好調。煽らずインテンポの1&2幕クライマックスの無愛想さも、救済がなくどこか醒めたところのあるこの作品にふさわしい。
加えて、3幕のL とEの二重唱に絡みつくオケのまったりとした艶めかしさは、シュナイダー先生の真骨頂躍如。現行バイロイトのトリイゾにならぶ渡辺淳一的「触れなば落ちん」の、じらしエロチックパワー炸裂。

演出は付和雷同の群集をマスゲーム的な動きで意図したのだろうが、バンザイ風の単調な所作が続きすぎる。万事、過ぎたるは及ばざるがごとし。
ロザリエ美術も美しいのだが、タスキに鉢巻の「維新官軍」や「恐山の巫女」風のブラバント集団、切り絵すかしのEのドレスやら、(往年の番長が竹刀を手に座っていた)柔道場に積み上げた畳の上に座るハインリッヒ王、クライマックス背景の隅田川花火連発(1幕)、らせん状の巨大花魁髷のかぶりものを頭に緋毛氈を一人歩むエルザ(2幕)、そして巨大な古代ハス風のオブジェ(3幕、手前に凸型が二つ、奥の巨大な凹型は窪みに血を思わせる赤い花芯が・・・なにか思わせぶりである)など、安っぽい和の素材の多用が意味不明であった。
まさか、キリスト教の裏で土着信仰の生きるブラバント同様、、『フォークト教』の洗礼を受ける前の、極東ワグネリアン・ワグネリエンヌ達の象徴だったりして。。。
おのおのがた、くれぐれも反則野郎の「笑顔」に”Habet acht!”

(* 1幕、エルザの首の後ろのマクラ(機内で使う空気でふくらませるやつ・・・)は笑える。まさか、白鳥のくちばしの上についているこぶのような突起物が、夢を通して彼女に取りついたとか・・・)

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://concertdiary.blog118.fc2.com/tb.php/1403-9ffa0994
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

«  | HOME |  »

Since
September 13, 2007

これまでの来訪者数

最近の記事

カテゴリー

全記事表示

全ての記事を表示する

RSSフィード

ブログ内検索

プロフィール

リンク

News   

雑誌 モーストリー・クラシック に連載中
「東条碩夫の音楽巡礼記」