2019-05

2・1(金)ゲルギエフ指揮マリインスキー・オペラ
ボロディン「イーゴリ公」

  NHKホール

 10の上演があれば10通りの版が生じる、とまで言われる「イーゴリ公」。
 なにしろ、ボロディンが部分的にしか作曲せず、幕構成案すらメモ程度しか作らないまま世を去ってしまったのだから仕方があるまい。
 
 したがって今日多く上演される「慣用版」は、もちろん作曲者本人の手によるものではない。それは、リムスキー=コルサコフとグラズノフが「友人のためを思って」編纂し完成した「プロローグ付4幕版」であって、しかもそのうち「序曲」の全部、および第3幕(イーゴリ脱走の場面)のほとんど98%はグラズノフが作曲したものなのである。
 したがって大抵の歌劇場では、この第3幕は省略してしまい、第4幕(イーゴリの帰還の場)を繰り上げ、「プロローグ付3幕版」として上演することが多い。が、稀にそのボロディン自身の作でない「第3幕」を復活抜粋して組み込んだり、あるいはリムスキー=コルサコフらがカットしたボロディンの原案からいくつか復活して挿入したりする上演やレコードもある。話は複雑怪奇だ。
 言い換えれば、このオペラには、いわゆる「原作」と呼べるものがないのである。

 ゲルギエフとマリインスキーも、これまで3種の版を持っていた。つまり、
①これまでふだんの上演に使用していた慣用的な「プロローグ付3幕版」
②ファリーク校訂による4幕構成「マリインスキー版」・・・・これは大雑把に言えば、慣用版の第1幕(イーゴリの留守宅プチーヴリ城の場)と第2幕(イーゴリが捕虜となっているポロヴェッツ軍陣営の場)をそっくり入れ替え、もちろん第3幕も生かし、さらにカット個所の多くを復活させた大掛かりな校訂版である(93年収録のCD)
③上記②の一部を省略した準「マリインスキー版」(98年収録のDVD)

 ところが、今回の日本公演で上演されたものは、これらのいずれでもなく、ゲルギエフが昨年暮れの北京公演に際し改編した「第4の版」ともいうべきものであった。
 それは、②を基本とした版からいくつか便宜的なカットを施した上、幕構成を大きく変更して、つぎのようにしたものである。
(1)「序曲」を「プロローグ」(イーゴリ出陣の場)のあとに置いた。これは、第1幕に移されている「ポロヴェッツ軍陣営の場」への場面転換を容易にするための方法でもあろう。これにより、「序曲」は「第1幕への間奏曲」としての役割に変わることになる。
(2)「プチーヴリ城内の場」をオペラの後半に移し、「第3幕」および「第4幕」とした。
(3)「イーゴリ帰還の場」をカットし、その場の冒頭で歌われる「ヤロースラヴナの悲しみの歌」のみを上記「第3幕」冒頭に移した。

 大体、この3点に絞られよう。
 好みはともかく、客観的に判断すればこの改編は、「ポロヴェッツ人の踊り」が終ると観客が帰ってしまうことが多い、という「慣用版」の欠点を救い、かつ音楽的に非常に弱点を持つ「イーゴリ帰還の場」に代わる見せ場として「プチーヴリ城内の場」が生かされた、という利点を生んでいるだろう。
 ただ、そのためにラストシーンでは、「敵軍迫る」の報に動揺しつつも迎戦を決意する城内の人々の中に突然イーゴリ公が飛び込んで来るという設定が、コンセプトの上でも視覚的にも非常にわかりにくい、という新たな欠点を生んだようだ。もしゲルギエフがこの「2007年版」を今後も使用するつもりなら、ここは演出の上で改善せねばなるまい。今回の形では、これはむしろ逆効果だ。
 とはいえ結局、どこをどうやってもどこかに漏れが出る、というのがこのオペラの宿命なのかもしれない。

 上演の中で最も観客を沸かせたのは、当然ながら「ポロヴェッツ人の踊り」(昔は「だったん人の踊り」と呼ばれていたが、これは歴史的に見て間違いである由)であった。あの野生的でダイナミックな跳躍は、たしかに迫力充分である。
 歌手陣はこの日も若手で固めていたが、その中ではイーゴリ公を歌ったセルゲイ・ムルツァーエフと、コンチャーク汗を歌ったアレクセイ・タノヴィツキーが出色であった。後者は明晰な最低音を聴かせたのがすばらしい。彼は「ランスへの旅」(31日)では医者を歌った青年である(私の見ていない日にも他の役を歌っていたかもしれない)。2人とも頼もしいバス・バリトンで、いずれスターになるだろうと思う。
 他には、イーゴリの息子ウラジーミル役のセルゲイ・セミーシクル、その恋人コンチャコーヴナ役のズラータ・ブルイチェワも伸びのある声と映える舞台姿で今後に期待を持たせる。

 ゲルギエフとマリインスキー劇場管弦楽団は、今回の一連の公演では、かつての水準を取り戻したという印象が強い。練習しなくても平気でこなせる、というロシアものが中心だったせいもあるかもしれないが、総じて充分に満足できる演奏であったといえよう。

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