2019-04

3・14(水)新国立劇場 ワーグナー:「さまよえるオランダ人」 3日目

   新国立劇場オペラパレス  6時30分

 第3幕の中頃、ちょうどノルウェー船の水夫たちが踊りまくっている時に、かなり強い地震が来た。客席は少しざわめいたが、上演は中断することなく続いた。そのすぐあとには幽霊船の水夫たちの合唱が爆発するという次第で、ますます不気味な雰囲気になった。

 今回のプロダクションは、マティアス・フォン・シュテークマン演出によるもので、2007年2月にプレミエされたものだ。
 序曲には「救済の動機」のない版(原典版とも少し違う。昔バイロイトで演奏されていた版に似ているが・・・・)を使っているのに、全曲の最後は「救済の動機」ありの改訂版使用という、あまり一貫性のない形になっている。
 また第2幕と第3幕は連続する版で演奏されたが、第1幕だけはエンディング付のヴァージョンが使用されて一度休憩に入った。こちらはまあ、便宜的な方法と言えるかもしれない。

 ラストシーンでは、幽霊船の舳先に屹立したゼンタが、船とともに沈んで行く。
 陸に残されたのはオランダ人船長の方である。
 何もなくなった舞台に、白色の光に照らされて彼がただ1人茫然と地に伏す時、オーケストラには「救済の動機」が現われる。オランダ人は救済されたのか、それとも長い妄想か悪夢から醒めただけだったのか? 

 この場面のシュテークマンの演出は前回同様に印象的なものだったが、その場面以外は、なんとも平凡で締まりのない舞台だ。所在なく動き回るだけの水夫たち、リアルな動きと様式的なポーズが中途半端に混在する水夫たちと娘たち、音楽とは妙にチグハグな人物の動き。

 だが一番のチグハグは、ゼンタ(ジェニファー・ウィルソン)の無表情な顔と動作だ。
 第3幕大詰め、悲劇的な緊迫した場面なのに悠然と歩いて出て来たり、船の舳先へノタノタと登ってやっとこさ姿勢を整えたりするそのダイコンぶりたるや――およそドラマトゥルギーと程遠いその無神経な動作には、見ていてなさけなくなり、腹が立ったほどである。演技ができないのか、それとも演技をやる気がないのか?

 今回の期待は、最近欧州の音楽界では日の出の勢いにあるチェコの指揮者トマーシュ・ネトピルと、マリインスキー出身の、今夏バイロイトでもオランダ人を歌うエフゲニー・ニキーチンの登場にあった。
 だがネトピルの方は、――どういうわけか期待を大きく裏切って、えらく生気のない指揮に終始してしまっていて、大いなる失望落胆である。もってまわった遅いテンポ、硬直した音づくり、緊張感を欠くゲネラル・パウゼなど、まるで十数年前の(日本公演での)ティーレマンを真似したかのようだ。
 多用される弱音によるティンパニのリズムやトレモロなど、たとえpでもppでも、客席にもはっきり聞こえるような音量にさせなくては意味がないだろう。

 ミュンヘンで「ファウスト博士」を振った時をはじめ、明晰で溌剌とした指揮が彼の身上なのに、この暗さは、いったいどうしたことなのだろう? 
 はっきり言うが、彼は、本来はこんな指揮者ではない。理由は分からないが、とにかく今回は、どうかしている。

 一方ニキーチンも、前半は何かうわべだけの歌唱表現と演技になっていて期待はずれだったが、ただこちらの方は、第3幕最後に大見得を切るあたりにかけて歌にも猛烈な気魄を示して、とりあえずはきちんと締め括った。しかるべき状況におかれれば、良いオランダ人が歌える人だろうと思う。

 他の歌手たちは、ダーラントをディオゲネス・ランデス、エリックにトミスラフ・ムツェック、マリーに竹本節子、舵手に望月哲也。
 ランデスは、ダーラント役には声がちょっと軽いのではないか? 下のF音も伸びないし、オランダ人との声の対比も明確にならない。第1幕のあと、体調不良との発表があって、アンダーの長谷川顕に替わったが、彼の方が声に重厚さがあって、ずっと父親ダーラントらしかった。
 ムツェックは荒っぽいが、一本気な狩人としてのこの役にはまあ合っているだろう。竹本節子は前回の上演から引続きの登場だが、手慣れたものだ。望月哲也は良かったが、歌唱をやや崩し過ぎか?

 東京交響楽団は、前回ミヒャエル・ボーダーの指揮でこの曲を演奏した時よりはまとまっていたと言えるかもしれないが、それでもやはり硬質で硬直気味の演奏であり、「総譜のどの頁からも海の風が吹いて来る」といわれるこの音楽を再現するにはしなやかさを欠いていた。
 弦の響きが薄いのは致命的で、ドイツ・ロマン派オペラの最大の特徴たる弦のトレモロの迫力がもっとたっぷりと出ていなければ、第1幕における海のざわめきや波の盛り上がりや、不気味な雰囲気を描き出すことは不可能なのである・・・・。

 このあたりはしかし、指揮者との呼吸が合っていなかったからなのかもしれない。アインザッツが妙に思い切り悪く、第2幕の序奏の入りなど座りが悪かったし、第3幕の「エリックのカヴァティーナ」の序奏でオーボエがためらい気味に(?)吹き始めるミスをしたのも、もしかしたら指揮のせいだったのか、それとも? 

 字幕は、至極解りやすかった。とはいえ、水夫の「Ho! He! He! Ja! Hal-lo-jo!」などの掛け声までいちいち細かく日本語訳で字幕に出すことはないんじゃないかと思うが如何に? 「へいへいほう!」なんて、「与作」みたいで。

コメント

僕も、この日を観ました。
初めて、ワーグナーを指揮するNetpilにとって、「えっ!」という出来に。残念。地震のあと、なぜか4Fの雰囲気がしらけて。いるような。舞台と客席の雰囲気が一致していない。
Sentaは、Wilson。前回詠ったアニア・カンペよりは、良い部分もあるけど。まだ、Turandot歌手の方が合ってる。強いて言えば、ワーグナーは、棒立ちでも歌えるISOLDEも、悪くない。

ネトピルの指揮、「あれ、こんな人だったっけ?」。もしかしたら、現代的な作品。カルト的な作品が強いのか?お国ものを振っている方がよいのか?
単に、もともと自分の心の感性に、合っていなかった。本人の生きてきた人生に
その作品が共鳴していない部分があるのか?

仕事のオファーと、自分の<オランダ人>の読み込みに何か迷い、が見え。演出上からくる(Sentaの悲劇性を強調しない。純愛もの演出)ものとの、ギャップに苦しんでいるのなら、読み込みがまだ、足らない。といわれても仕方がない。
そんな結果から、最後の音楽の締めも、考えすぎたのかと思います。

指揮者にとって、克服する課題の多い上演だったに違いない。けど、何回も来て欲しい成長の見たい。とても良い指揮者です。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

祈りの日の公演

震災一周忌の3/11公演に行きました。
オランダ人で1幕後の休憩が待ち遠しく感じられる程の「迷演」でした。
震災一周忌に遠慮した訳でもあるまいが、ネトピルの指揮はなんとも起伏と厚みのない緩いテンポで、荒れ狂う海も、永劫の呪いとの葛藤も、救済への渇望も、まったく見出し得ず期待はずれ。全曲を貫く一本の脈動に欠ける単発的な演奏では、若書きの作品の未成熟な粗さばかりが際立つ結果に。。。

歌手陣も、丁寧な歌唱のニキチンは、明るめの声質のせいか、断ち切れぬ「業」との苦悩を描き出すには至らない。一方、ゼンタのウイルソン、パワーはともかく、感情も狂気も感じさせない無機質な声で、憑依から救済をもたらすドラマの勢いが見えてこない。殊に、東条先生ご指摘の幕切れは、船の舳先に乗り遅れるのではと心配になるほどの、堂々の土俵入り。

創造性欠如の演出も相まって、何度か意識が難破。。。やはり、この日は心静かに祈りの時間を過ごすべきだったと、反省しきりです。ただ、新国でも開演前に黙祷でもすれば、音楽の「底ヂカラ」を湧き立たせることになったのではと、(どこかの政治同様)監督不在の企画・マネジメント力に失望です。

こんにちは

かなり皆さん辛らつな意見ですね。
私自身は初日と14日と2回も観ているので、14日に関してはかなり出来が良かったと思います。
初日は、どうしようかと思ったくらい。

それと、14日に感じたのですが、1幕目で、めまいがするのは(気分が悪くなるのは)かなりの方が同じだったんですね。

T.T さん、はじめまして
>地震のあと、なぜか4Fの雰囲気がしらけて。いるような。舞台と客席の雰囲気が一致していない

どんな雰囲気だったのでしょうか?1階はあわてている人が少なかった。逆に「なんでこんなに冷静にしていられるのだろうか?」とさえ思いました。

ゼンダに関しては、私自身は声は良かったと思います。
動きについて言われると、そうかもしれないと思いますが、前もって、太っている方と知っているので、それで動きが鈍いというのは、失礼かなと思っておりました。
オケと指揮者については
皆様だいたい、指揮者は良いはずだが、今回は良くないとのこと。
オランダ人をかなり軽くまとめたのではないでしょうか?そんな気がします。本音言って、新国立劇場のアンケートにも書いたのですが、初日の感想として、「こんな軽い音とは思わなかった」というニュアンスを長々と書いたと思います。
そして歌手では初日から安定していたのがゼンタ、
竹本さんかなあ。ニキーチンは14日の方が良かった。ランデスは初日は良かったんですけどねえ。カヴァーの方は演技と歌詞かなりヤバかったですよ。ダメ出しボンボンされて舞台は進行しておりました。確かに声は良かったと思いますが、それ鼓動他の歌い出しまで指示されていたので見ていてつらなったです。もう視線が指揮者に釘づけになっているのです。これは見る方もつらかったです。どうせなら、先生のおっしゃるように、声の部分を優先して17日以降初めからカバーを出して、安定させれば、良い演技はできると思います。
あと、最後に,
初日は4階でしたがPAの音がうるさかったです。そして、これは重要なことですが、1階の前の席でも14日の日に同じことを感じました。もしかしたら、そういうエンターテイメントな作りなんではないでしょうか?

幽霊船の乗組員より

幽霊船の乗務員から、皆様へ。
幽霊船に乗り込むゼンタの勇気。幽霊船に帰りそびれた自分の船長。自己救済は、オランダ人の船長様の望んだこと。ゼンタは、第二幕から、船長の登場を望んでいるから(皆が段々気味悪く訝しがる雰囲気になる)バラードを歌うことができたから、自己暗示のうちに、自ら’幽霊船’に乗り込んでいったのでしょう。

原典版を使っておいて、最後は改訂版。第1幕とゼンタが主人公になる後半では、そもそも話が違う。男の世界が第1幕。
女の心が入り込む第2・3幕。マリーはゼンタにならずに済んだ利口な(長所のある)おばさん。ゼンタ自体は人の話に耳を貸さない一途さ(短所)をもつ社会経験の少ない女性が二人いるから、その対比は丁寧だったでしょう。そのことを見逃すと、船長の声が、幕に進むにつれ、明るい声になるのも無理もないと思いますよ。
だから、原典版と改訂版の両方を持ち出すことになると、思います。ちなみに、パンフレットというか演出意図について書かれているものを読んだわけではない。

フランス語は、Vaisseau fantôme(Le)。”幽霊船”が題名なのだから、もっと、柔軟な解釈が生まれていいはず。違う価値観から出てきた題名の違い。物事の発想も違ってもいいはず。
*****ちなみにやっぱり、切れ目無く観たい人***

音楽、”幽霊船”の怖さは、地震で揺れていたとき、船酔いしているのかと思った。。
平土間と2F・3F・4Fの座席では、4Fは揺れるでしょう。免震構造だから。

本当の船は、下ほど、揺れる。

タイタニック号は、氷山にぶつかって沈没する。ポセイドン号(ポセイドン・アドヴェンチャー)は、津波でひっくりかえる。<古い映画だね!!>

ワーグナーの”幽霊船”は、女性(マリーから船長の存在を知らされてゼンタの心が倒錯して)の登場で、心の大きな山の壁にぶちあたって、船長は女の登場で人生がひっくり返る。
*********************************************
総じて、今回は、音楽からくる印象、”幽霊船”ぶつかる衝撃とひっくり返る衝撃が弱かった。
もっと、激しく揺れたこの新演出の元々が、良い。また、3回目の再演での改善を。ネトピルのままで。

すみません。言い忘れ

初めて、ある作品(再演物 であるほど全部)に取り組む指揮者・歌い手が居る場合に、通常のVersion と違うことを行なう演出であるほど、練習期間、短いから戸惑うでしょう。

勉強してきたことと、実際やることのギャップが大きいから。

この演出は、とても秀逸ですよ。なぜなら、男だけの世界の第1幕。 女性の心が複雑に入り込むAct2・3。それに、原典版と改訂版を用いる。巧妙に出来ているからです。
これを理解させるには、稽古の時間が足らないんじゃないの。。。revival上演に、指揮者に、演出意図に左右されている状態では、時間が足らなさ過ぎ。主役級歌手に一人でもいいから、演出意図を知っている外国人がいればいいのに。マリーの再起用もその辺にあるのでしょう。。

だから、もう1回、ネトピル。ネトピル、何度も何度も、日本にやってきて欲しい。将来、どこかの大きな劇場に必ず栄転するから。

酷すぎるPA(17日)

17日の公演を1幕は一階で、2・3幕は4階で聴きました。素人なので見当はずれかとも思いますが、一階で聴いている時は弦の響きの薄さを感じました。でも確かに生のオーケストラの音でした。合唱も素晴らしい響きでした。
しかし2・3幕を4階で聴いたときは完全にPAの音でした。しかも、あまりに稚拙な技術者による酷いPAの音です。オーケストラの音は低音部が強調されゴーゴーとがなりたてます。合唱にいたっては音が歪んでしまい喧しいだけになってしました。~1幕ではあんなに素晴らしい響きだったのに~2・3幕だけPA使用とは考えられないので、劇場の上部に取り付けられたスピーカーからバランスを欠いた大音量を出力し続けていたに違いありません。
この稚拙すぎるPAは誰が何の目的で使ったのでしょう。演奏されておられる方々はPAの使用を知っておられるのでしょうか?もしかしたら一階で聴いた薄いオケの音はPAの使用を前提としたものだったのでしょうか?他の公演でもPAを使うことはあるのかも知れません。しかし、あまりにも稚拙な技術の今回のようなPAの使用はもう止めにして欲しいです。今日の公演のように聴く場所によってはPA技術が公演を台無しにしてしまう事を体験すると音響技術の責任者の名前も公演ごとに明記して欲しいと思います。




PA、今は当たり前。3D演出、観て見ます?ありうるよ。

PAの普及の過渡期。なんでしょうかね。
ベルリン・コミッシュオーパーの’ばらの騎士’なんて、最たるものですよ。あんな人数であんな豊麗な響き。出せるわけないもん。

ミュンヘンだって、あの’さまよえるオランダ人’だって、最後のEndingも、PAでしょ。けど、観客喜ぶもん。

どこの世間も、人減らし。歳費削減。けど、「大きな作品。金かけずにやりたい。」。出てきた産物は、PAの合成と舞台のVideo画像。
ヴィデオ画像は、作品や演出の本質を丁寧に説明するのに成功したり、邪魔だったり。(この前の藤村美穂子がブランゲーネを詠ってくれたトリフォニーホールみたいに、邪魔の典型だったり。今度、二期会が取り上げる’Parsifal'は、ちゃんと Video画像流せば、とても説得力があったり)

PAの合成は、批判が多い。なぜなら、Metの’’らいぶびゅーいんぐ’’(わざとひらがな書き)、感動しています?。反対に、BORISGodunovの戴冠式の鐘の音は、PAで合成しないと、迫力なくなるから面白くない。

だって、昔、代々木の体育館で、Veronaのアイーダなんて、最低だったけど、バブル全盛期の代物だから。話題になったでしょ。
大娯楽としての、カレーラスまで出てきてしまった’Carmen’(車の男)。

そのうち、どこかの国(特にアメリカ または香港とか中国)で、3Dめがねを観客全員につけてもらって、実際の舞台を観る演出。必ずや出てくるから。。。。。PAもvideo
も、2Dでしょ。2Dが、3Dめがね装着用の演出、どう思います?PAになんの違和感も感じなくなると思います。

世の中、進化とげているし。今では、大河ドラマの合戦場面、CGですね。エキストラなんか募集少ないでしょ。だから、視聴率落ちるし、<T・KIYOMORI>、関西の首長なんか、いまだに怒っているでしょ。「野蛮だ。」って。けど、やがて受け入れられるよ。


みんな、過渡期。3D社会へむけての。駐車場(ParkingArea=PA)で、オペラ。3Dめがね装着の。(極端だけど)

新国立劇場で、3Dいつ導入してみる勇気と決断、やる時期だったら、どうなると思います?PA仕方ないよ。

こんにちは

この演目、かなり盛り上がっておりますね。
私は自分のブログでは、14日の後、あと何回か見たいと書きました。
それは、すごいわかりやすいものだったからです。音の組み合わせ方が、すごくわかりやすいものでした。枝葉末節では東京交響楽団らしくないのですが。そして、
歌手も意外と揃っていたと思うのですが。。
”幽霊船”さん、はじめまして

>初めて、ある作品(再演物 であるほど全部)に取り組む指揮者・歌い手が居る場>合に、通常のVersion と違うことを行なう演出であるほど、練習期間、短いから戸>惑うでしょう。

そう言われると、かなり合点がいきます。指揮者の意図はかなり表現できていなかったと思いました。だからオケピで大苦戦していた。

でもキャスティングで ゼンタにウィルソンを持ってきたことは、あの声が、このワーグナー作品にも合うという芸術監督の意図でしょう。それでよいのかなあ、と思っていたのですが、
本音言うと、ゼンタはもっと違うイメージはあります。たぶんここの迷いかと思います。
あと私は
>原典版と改訂版を用いる。巧妙に出来ているからです。
ここまで理解せずに聞いておりました。

Parking Area(PA) さん はじめまして
私も、PA使用はオペラをもっとエンターテイメントに、という観点で賛成です。
その時は事前に明示さえすれば
新国立劇場における貧民席は出足が悪くなるかもしれません。言葉悪ければ
4階が一番音を悪くすれば1階から埋まりますわ。

無記名さん
1階でも舞台の奥から聞こえてくる合唱はあれPAだと思います。音の質が違いますから。
まあ本日観に行かれる方が
このへんをすべて理解したうえで聞かれるのですね。

先ほど20日の会から帰ってまいりました。皆様既に十分お話されているので、一言だけ。普段は悪口は言わないのですが・・・・ あまりにアインザッツがそろいませんでしたね。後、先生のご指摘のゼンタさんはやる気がないんじゃなくて、勢い良く階段を上れなかったのだと思います。仮に上れても息が切れて最後に歌えなくて、オランダ人が本当に行き倒れになってしまいます。手すりつかまって一所懸命階段上ってました。昨年秋のローエングリーンのおにいさんのしぐさを思い出し、思わず笑みがこぼれてしまいました。長い2時間半でした。

PAについて当事者のブログ

PAについて何通かのコメントがありましたが、当事者(合唱指揮者三澤洋史氏)がそのへんの事情を説明しているブログを読みましたのでご紹介します。
http://cafemdr.org/index.htmlの「今日この頃(2012.3.19)新国立劇場のPA」
なお、私はこの公演は見ておりません。

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