2019-05

1・26(土)ゲルギエフ指揮マリインスキー・オペラ初日
ムソルグスキー「ホヴァーンシチナ」 

   東京文化会館

 ワレリー・ゲルギエフとマリインスキー劇場が日本で披露した、久しぶりの充実したプロダクション。前回来日公演での「指環」などと違って、さすがに自国ロシアの作品となると、有無を言わせぬ説得力が感じられる。

 オーケストラには、以前のような重厚で陰影の濃い音色が復活していた。ショスタコーヴィチのオーケストレーションによるこの重く暗く、悲劇性の強い響きをもつヴァージョンが、まさに迫真的に再現されていたのである。前奏曲「モスクワ河の夜明け」のあの美しい主題からしてたっぷりした情感をたたえたものであり、第2幕で分離派教徒の娘マルファが権力者ゴリーツィン公の運命を占う場面での管弦楽の弱奏も、恐怖感をそそるほど陰鬱であった。
 
 合唱も、今回は圧巻といってよかった。特に、第3幕終結での豊かな厚みのある弱音。拍手を浴びたのも当然だろう。
 ソリストは、脇役には若手もかなり起用されていたが、今日(初日)の主役陣はベテランと中堅で固められ、セルゲイ・アレクサーシキン(銃兵隊長官ホヴァーンスキー公)をはじめ、ミハイル・キート(分離派教徒指導者ドシフェイ)、アレクセイ・ステブリャンコ(ゴリーツィン公)、ヴィクトル・チェルノモルツェフ(大貴族シャクロヴィートゥイ)、オリガ・サヴォーワ(マルファ)らがそろって安定と貫禄の歌唱を示していた。

 総じて、丁寧で緻密な演奏になっていたのがうれしい。これは、1990年代の絶好調時のマリインスキーの水準を思わせる。もっとも、この種のロシアものは、彼らにとっては自家薬籠中のレパートリーであり、さほど練習しなくても、その気になりさえすれば完璧な演奏ができるらしい。以前にもサンクトペテルブルクの「白夜祭」で、慣れないワーグナーものではガタガタの演奏をしながらも、すぐ翌日にはグリンカのオペラで神わざ的な、見事な演奏をしていたのを聴いたことがある。

 演出と舞台装置は、もう何十年も前からこの劇場で使われているトラディショナルなものだが、それはそれで味があるだろう。
 それでも、1992年に録画されたLD(フィリップスから以前出ていた)や、数年前に「白夜祭」で観た舞台と比較すると、細部にかなり手が加えられているのは明らかだ。
 第2幕での主人公たちの激突場面などでも演技のニュアンスが細かくなっていて、すこぶる見ごたえがあった。第4幕の最後に若きピョートル帝が姿を現わすのは以前の演出と同様だが、今回は肖像画に見るピョートルそっくりの風貌の男を起用し、語り伝えられるように天衣無縫な奇人的ジェスチュアまで演じさせたのはユーモアというものであろう。大詰めの分離派教徒たちの自決の場での教会炎上も、昔の演出に比べればやや改善されたようだ(しかしここだけは最新の舞台機構技術でも使って、もう少しなんとかならぬものだろうかという思いは残る)。

 「ホヴァーンシチナ」がわが国で上演されたのは、1991年の「レニングラード国立歌劇場」来日公演以来のことである。ただ、あの時はリムスキー=コルサコフの華麗な、しかもカット個所も多いオーケストレーション版が使用されていた(彼の編曲は今ではすこぶる評判が悪いが、なにせヴォーカル・スコアまでしか書かれていなかった作品をとにもかくにもまとめて世に出した功績は認めなくてはなるまい)。したがってこちら「ショスタコーヴィチ版」に関しては、多分今回が日本初演なのではないかと思うが、どうなのだろう。
 もっとも、今回の上演が完璧なショスタコーヴィチ版かというと、そうでもないところが、また複雑だ。
 そもそも第2幕大詰場面と第5幕最終場面(分離派教徒自決の場)は、もともとムソルグスキー自身が書かないままに終っているので、リムスキー=コルサコフと同様、ショスタコーヴィチも独自の考えで新たに作曲したものを加えている(チャカロフ指揮のソニークラシカル盤で聴ける)ことは周知のとおり。
 が、ゲルギエフはそのいずれにも従っていない。その2ヶ所だけは、彼独自の考えによるヴァージョンで演奏しているのである。つまり、第2幕大詰では、管弦楽の弱音を長く引き伸ばすのみにとどめ、また最終場面では分離派教徒の合唱の旋律を管弦楽の最強奏がもう一度繰り返す、という方法を採っている。これは、きわめて単純な手法だが、実際に聴いてみると、かなりの説得力が感じられたであろう。
 ちなみに、最終場面のみには、ストラヴィンスキーが作曲した非常に悲劇的な版もある(アバド指揮ウィーン国立歌劇場のLD)。

 休憩時間にロビーで、「ストーリーが途中で何がなんだかわからなくなっちゃったよ、ロシアの歴史を知ってないとだめだねこりゃ」とぼやいておられる方に、3人ばかり出会った。さもありなん、だろう。私も昔、解説書を読んだ時にはあまりぴんと来なかった。が、いったんロシア史を少しかじってみると、歌詞の一つ一つに歴史上の出来事が反映されているのがわかって、なるほどなるほど、という面白さが沸いてくるのである。
 たとえば第2幕でホヴァーンスキーがゴリーツィンを揶揄する場面、
「まさかあの戦が輝かしい大勝利を収めたとは思っておるまい。
 我が軍に膨大な数の死者が出たのは、闘いのためではなく、
 そなたが飢え死にさせたからなのだぞ」(一柳富美子訳)
という歌詞があり、ゴリーツィンが
「貴公には所詮解らんことだ」
と猛り狂うくだりがある。
 これなどは唐突で、前後に関連した話もないので、せいぜい「何かあったのだな」と推測するしかないだろう。しかし、ロシア史を読んでみると、これは1687年にゴリーツィン率いるロシア軍がタタール軍の火炎戦術に会い、戦わずして大量の死者を出し撤退したにもかかわらず、愛人ソフィア皇妃により、国内には大勝利と喧伝された事件を指しているらしいと解る。
 また第4幕で「ピョートル帝陛下がクレムリンに行進される」と告げられ、群衆が喜ぶ場面も、われわれには特にどうということもない出来事のように思えるが、これもソフィア皇妃を失脚させて実権を握った17歳のピョートルが、モスクワを挙げての大歓迎のうちに凱旋した1689年10月6日の出来事を描いていることが解ってくる、というわけ。
 ムソルグスキーが「ボリス・ゴドゥノフ」と同様、オペラの中でロシアの歴史をこのように忠実に描いているというのは、面白い。
 

コメント

去年のザルツブルク音楽祭の「ベンベヌート・チェルリーニ」のガサツな指揮と、貴方のオケの音色の変化のリポートで、あまり期待しないで行ったのですが、仰る様にすばらしい公演でした。「イーゴリ公」も期待できますね。

ご無沙汰しております

東條先生。ご無沙汰しております。ホヴァンシチナすばらしかったですね。以前にお会いした時、「私はゲルギエフは余り好きじゃない」と申し上げましたが、それは数年前までは力で押し捲る所が耳についたからでした。ところが去年のバレエ音楽のコンサート以来大音量を張り上げるところが無くなり、しっとりとした味わいが聴けるようになりました。正直言って見直しました。ホヴァンシチナは1/27に見たのですが、オケも歌手も良い演奏でした。ただこのオペラは先生の仰るとおりロシアの歴史を知らないと理解しがたい所があり、私も実は歴史を知らないのがいけないのですが、ただ演出の仕方では変化の少ない1・2幕をもう少し面白く見させることができるのではないか。ホヴァンスキーが暗殺される場面も暗殺者の登場がいささか唐突で、もう少し暗殺者の登場を直前に予感させるようなざわめきとか、動きを舞台上に居る他の役者にさせるとか、方法はあると思いますが。
 ところで話は変わりますが今年は先生はイースター音楽祭には行かれますか。私は3/19・20でベルリン国立に行き、21にサルツブルグに移動します。

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://concertdiary.blog118.fc2.com/tb.php/129-d5be3c83
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

«  | HOME |  »

























Since
September 13, 2007

これまでの来訪者数

最近の記事

お知らせ

●2007年7月以前のArchivesを順次、アップロード中です。併せてご覧下さい。
2007年7月
2007年6月
2007年5月
2007年4月
2007年3月
2006年7月

Category

ブログ内検索

プロフィール

リンク

News   

雑誌 モーストリー・クラシック に連載中
「東条碩夫の音楽巡礼記」