2019-08

1・22(日)細川俊夫:オペラ「班女」広島初演

     アステールプラザ(広島)中ホール能舞台  3時

 広島へ日帰り。細川俊夫のオペラ「班女」を観る。
 エクサン・プロヴァンス音楽祭の委嘱で2004年に初演された作品だが、その後のモネ劇場での上演も、サントリーホールでの東京初演も観る機会を逸していたので、広島初演を待ちかねて出かけた次第。
 今回は平田オリザ演出による能舞台を使用した上演で、しかも川瀬賢太郎指揮の広島交響楽団の演奏となれば、いっそう興味が湧くというものである。

 「班女(はんじょ)」とは、中国の故事に基づく「男に捨てられた女」の意。
 能の原作を三島由紀夫が文学作品としたものをドナルド・キーンが英訳、それに基づき細川が脚本化した。今回の上演ではその英語の歌詞が使用され(字幕付)、時に挟まる台詞部分に日本語が使われている。ただ、この2ヶ国語の交替はかなり唐突で、些か違和感を呼ぶ。

 吉雄(小島克正)に捨てられ、哀れにも狂気となった花子(半田美和子)は、今は実子(藤井美雪)の保護の下にある。そこに彼女の居場所を探し当てた吉雄が訪ねて来るが、花子にはもはや彼を認識できる精神は残っていなかった――というのが物語の大筋である。

 平田オリザの演出は、静的だが極めて巧みな心理描写にあふれ、魅力的だ。
 特に実子が花子に抱く妖しい気持が赤裸々に描かれるあたり、藤井美雪の精妙微細な演技もあって、ぞっとするほど不気味な雰囲気を醸し出す。
 自らの狂気の世界に浸りきり、純粋な美しい表情を見せる花子に対し、生々しい感情に揺れる実子もまた、異なった意味での狂気の世界に陥っている女なのであろう。

 この演出での最大の見ものは、かようにこの2人の女の微妙な関係と、それを演じる2人の女声歌手の演技とにあると言えるだろう。
 吉雄が立ち去ったあとに、花子が浮かべる怖しいばかりの美しい狂気の微笑――これを演じた半田美和子の演技が素晴らしい。
 そしてそれ以上に実子の――花子を連れ出そうとする吉雄との口論のさなかに見せる嫉妬の感情の入り交じった苦悩の表情、あるいはそのあとの、花子と吉雄の哀しい不毛の対話を傍で聞く実子の顔に次第に拡がり行く、鬼気迫るような満足の薄笑い、また最後に花子の狂気の哀れさに対して見せる、愛と同情が交錯する暗澹たる表情など、藤井美雪の演技の見事さには全く魅了された。こんな芝居の巧いメゾ・ソプラノが日本にいたとは! 慶賀の至りだ。 

 こうした性格描写は、平田オリザが、これまでオペラを演出したことのない、演劇畑の人であるがゆえに可能だったとも言えよう。
 この2人の女に比べると「吉雄」はやや曖昧な存在に陥りかねない。が、彼はここでは少しヤクザっぽく、実子への敵意を剥き出しにするキャラクターとして描かれていた。それはそれで筋の通った解釈であろう。

 能舞台を使用したのは平田のアイディアだとのことである。客席から見て上手側に本舞台、下手側奥に橋掛り、その前に小編成のオーケストラ、という配置。私の印象としては、能舞台そのものは、視覚的な美しさと、日本人として精神的な安らぎを感じさせる役割という程度に留まったようにも思われたが、もちろんそれもそれで良かったであろう。
 実子や吉雄が橋掛りをゆっくりと歩いて登場して来るのは、悪くない。ただ、吉雄が登場する際の音楽の表情が、彼が常座に着いた瞬間に劇的に変化するという形を採っているので、これはむしろ普通の演劇舞台で行なわれるような「突然の登場」の方がショッキングな効果を与えるのではないかな、などと思ったりした。
 吉雄と花子が取り交した「扇」は、今回はさほど重要な意味を持たされていなかったようである。

 細川俊夫の音楽には、邦楽器は一切使われていないが、いつものように精緻なテクスチュアに富み、清澄な美にあふれている。漸強・漸弱を多用したニュアンス豊かなオーケストラの語り口は、まさに日本人ならではの筆致であろう。
 全曲を支配する「静」と「間」の中に、物語の劇的な展開に応じて時に打楽器が炸裂し、強烈なインパクトをつくる。最弱音による弦楽器群のざわめきと管楽器群の微かな風のような音で開始されたオペラは、ラストシーンで再び微かな音となって次第に消え去って行く。あたかもこの浮世の愛憎劇が、一片の風と化して幻想的に遠ざかり行くかのようでさえある。

 アフタートークでは、吉雄と実子の議論口論の場面(第4場)が長すぎるのではないか、という質問が観客の1人から出ていた。だが私は、むしろその場面にこそ、細川の音楽の魔性と緊迫感が発揮され、彼がオペラの作曲家として十分な地位を確立するにふさわしい力量が示されていたのではないかと思う。
 とりわけ暗い音色の和音が長く持続されたままになる個所など、実子の執念を象徴するかのような凄味があり、背筋が寒くなるような効果を上げている。全曲6場の中央に位置するこの第4場こそ、このオペラの音楽的クライマックスとして位置づけられるのではなかろうか。

 こうした音楽を、川瀬賢太郎は、驚くほど見事に指揮していた。透明な音色を保持した広島交響楽団の鮮やかな演奏もさることながら、若い川瀬のこの感性には目を見張るものがある。この指揮者は、伸びること疑いなしだ。

 上演時間は、正味90分。

     →モーストリークラシック4月号 演奏会レビュー

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