2020-04

1・10(火)イアン・ボストリッジ(T)のシューベルト歌曲集

   東京オペラシティコンサートホール  7時

 このホールでは、ほぼ3年ぶりに聴くボストリッジ。前回マーラーなどを聴いた時にはどうもあまりしっくり来なかったが、今度のシューベルトは、良かった。

 彼の癖である左を向いたり右を向いたりしながら歌う忙しい動作が今回はやや抑制されていたためか、それともホールの響きが少し変わったか、左右の壁への音の跳ね返りが以前に比べ不思議なほど感じられなかったので、ピアノと彼との声が纏まって聞こえたということもあろう。
 だがもちろん、素晴らしさの基は、彼の歌唱表現の精妙さにある。それは非常に感情の振幅の激しい、強烈な表現にあふれたものだ。

 プログラムは、シューベルトの歌曲集「白鳥の歌」を中心に、その前にシュレヒタ詩の「水鏡」、ライトナー詩の「冬の夕べ」と「星」を置き、これらを休憩なしに続けるという構成が採られた。そして「白鳥の歌」は、レルシュターブとハイネの詩による13曲のみ――最後は「影法師」で終るという形になっていた。
 まあこれは、リサイタルでもCDでも、近年よくある形の一つだろう。

 ボストリッジの本領は、やはり「白鳥の歌」に入った瞬間から発揮されて来る。
 猛烈に速いテンポで歌われた「春のあこがれ」のあとに来る有名な「セレナード」が、あたかも孤独な人間のモノローグのように歌われたその解釈の大胆さに、まず魅力を感じてしまう。
 続く「わが宿」も、苦悩を絞り出すような表現が見事に強調されている。「遠い国で」の「きらめく夕星は 希望もなく沈んでゆく」(西野茂雄訳)の最後の「sinkender!」にこめられた声とピアノの表情の凄さ。

 「別れ」の歌の途中に2、3回織り込まれた、ためらうようなリタルダンドも、ただ転調を強調するためだけのものではおそらくなく、主人公の感情が揺れ動いているさまを表わすものだろう。
 昔、フィッシャー=ディースカウがこの軽快な歌の途中で突然微笑を浮かべるような声の表情を聞かせ、そこで音楽の色がガラリと一変したのに驚いたり感心したりしたことがあるが、それと同じような表現の巧みさである。

 「影法師」が暗く劇的に終結し、カーテンコールの拍手が盛り上がったあとに、アンコールとして予想通り――出版された歌曲集「白鳥の歌」の最終曲たる――「鳩の使い」(ザイドル詩)が歌われた。これがまた見事に「本編」とは一線を画すような、全く別の曲だという性格を強調するように、自由な雰囲気で描き出されたのにも感心させられる。
 そのあとにもう1曲、「月に寄す(D.296)」も歌われたが、これは王子ホールでのリサイタルで歌う「ゲーテの詩による歌曲集」との絡みで選ばれたものか?

 グレアム・ジョンソンのピアノが、出すぎず、しかし必要なことはすべて語り、安定して温かくボストリッジの歌を支えていた。先頃聴いたティル・フェルナー(パドモア・リサイタル)やゲロルト・フーバー(ゲルハーヘル・リサイタル)のピアノに比べ、余程安心して聴いていられる。

 休憩無しで、8時15分頃終演。

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