2017-08

12・20(火)エリアフ・インバル指揮東京都交響楽団のショスタコーヴィチ

   サントリーホール  7時

 定期のBシリーズで、ショスタコーヴィチの「ヴァイオリン協奏曲第1番」と、交響曲第12番「1917年」が演奏された。

 おそろしくヴォルテージの高い演奏である。両曲ともに火を吐くような気魄が漲った演奏で、その緊張感には息苦しくなるほどだ。
 協奏曲でソロを弾いたジュリアン・ラクリンの、フィナーレでの忘我的な昂揚と追い込みは凄まじく、彼の最近の好調ぶりを窺わせる。もちろん、インバルと都響の煽りも猛烈で、これほどソリストと指揮者とオーケストラが三者一体となって燃えた演奏は、そうそうは聴けない類いのものではなかろうか。

 交響曲でも、近年のインバルの厳しい造型力と、都響の安定した実力とが相まって、極めて密度の濃い演奏となった。
 宏大なスケールを感じさせる演奏というよりは、むしろ逆にぎっしりと凝縮したイメージであり、それが恰も怒れるハリネズミのように全身をケバ立たせて怒号するのだから、聴いていると息が詰まるような思いになるのも当然だろう。些かも長さを感じさせなかったという点で、やはりこれは非凡な演奏と言えよう。

 このプログラムで、会場はほぼ満席。インバルと都響への期待が高まっている証拠であろう。先頃のフルシャ、今回のインバル、こういう好い演奏が都響に続けば、聴衆は自然について行くものである。

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この演奏会、行きたかった人、多かったです。今日(この演奏会の次の日、今日)は、40代になって現れだした喘息状態の体調のため仕事を早退。(40代からの喘息って、環境的要因からです。ストレスとか。非アトピー性)
かかりつけのお医者さんも「完売って言うから、行けなかった。」と言っていました。

Vn協の後、12番を聞いていて金管等のブラス群の調子が良いので、よく考えたらこの選曲、金管群にとって負担が少ないから、12番が<驚異的なほど密度の濃い演奏>になるのかと。

Vn協は、ヴァイオリンの音色・技巧的なことが映えるように、喩えていえば室内楽的な編成(オーケストラが吼えない。ペットやトロンボーンが居ないから。)なので、ペットやトロンボーンにとっては、後半に集中するだけでいいから楽。

普段やらない作品を1回しかやらない演奏会になると、精神的負担も大きいし、練習しすぎて、唇の筋肉の状態が良くないと本番当日に差し障るので。

だからこそ、集客できるVnのソリストの調子によって、後半にも上手く紡げたのだと。
最近、知っている曲によっては、なんで、この旋律が映えるのには、他の人たちは、何をやっているのだろう。どんな音を出しているのだろうと言う聴き方をしています。<この聴き方、医者から強くドクターストップかかっています。右脳・左脳を同時に使うことになるから、絶対ダメって。脳が疲労してしまって。壊れるからダメって>。けど、やってしまう。反省しています。



こんにちは

こんにちは
そして、 T.T さんはじめまして

そうですね、バイオリンコンチェルト、珍しい形で、オケに負担がかからないから、のんびりしてましたから、12番にかなり力が入ったと思います。

しかしこの、コンチェルトを作ることができるというのも
ショスタコビッチ、かなりの人だと思います。第3楽章から第4楽章へかけての切れ目のない流れは、すごく素敵です。
12番は意外と、間をとって演奏しておりました。私個人的には最後、いまひとつ、伸びきれていない気がしました。これってインバルが、革命後はそんなに甘くないという意味として演奏したのか?よくわかりませんが、もともと、ショスタコビッチ自体の楽曲が革命後に夢のある、第4楽章を持ってきておりましたから、なんとも言えません。
しかし本当に、しっかりとした2曲でした。期待どおりでしょうか。私個人的には先日のヤマハホールでの演奏からするともっとバイオリン走ると思ったですけど、インバルの指揮に従っていたのでしょう。とても良い関係でした。

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