2020-07

11・26(土)ギュンター・ノイホルト指揮群馬交響楽団

    群馬音楽センター(高崎)  6時45分

 群馬音楽センターが古いホールだということを知りながら、座席用のクッションを忘れて行って大失敗した。
 1年前からの坐骨神経痛は半年かかってどうやら治っているが、乗り物やホールの硬い椅子に座って姿勢を動かさないでいると、たちどころに激しい痛みが再発して来る。この群馬音楽センターの古い椅子は狭い上に硬く、しかもデコボコした(バネではないと思うが)ものがシートの下にあって、体にギシギシと当たるのである。今日は本当に辛かった。演奏が良かったので、気は紛れたが。

 プログラムは、最初にワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」の「前奏曲と愛の死」、次がモーツァルトの「オーボエ協奏曲」(ソロは渡辺克也)、最後がブルックナーの「交響曲第9番」(コールス校訂版)。

 オーストリアの指揮者ノイホルトが客演している。おそろしく直截な指揮である。速めのイン・テンポで、矯めも誇張も一切なしに淡々と押して行くのは、彼の本性か、今日のオーケストラとの相性の所為か、あるいはこのホールのアコースティックへの解決策か。

 「9番」の場合には、こういうイン・テンポの演奏は、悪いものではない。「ブルックナーを指揮する時にはテンポを勝手にあれこれ動かしてはいけません」というシューリヒトの言葉を思い出す。しんねりむっつりと手練手管を弄されるより、余程好ましい。
 多分55分を切ったくらいの演奏時間だったから、テンポも相当な速さである。かといって、慌しいという印象は全くない。よく言えば古典派的な端正さを持ったブルックナーと言えようか。素っ気ない表情ながらも強い集中力が感じられる演奏だ。

 それに、残響のないホールでは、「間」を長く採ってもあまり意味を成さない。このような率直な演奏の方が聴き易いだろう。その代わり、ブルックナーの後期の交響曲が持つ独特の神秘性、高貴さ、壮大さなどは薄められてしまうが、これは致し方ない。
 第1楽章あたりでは演奏にもアンサンブルにもまだ何かぎこちなさが感じられていたのだが、第2楽章(スケルツォ)の後半から見違えるほど演奏の密度が濃くなり、凄まじい気魄が加わって来た。
 ワーグナー・テューバ群にもう少し丁寧さが欲しいのと、第3楽章冒頭のヴァイオリンの動きに今ひとつの厚みと安定感が欲しかったことを除けば、群響は好演だったと思う。

 「トリスタンとイゾルデ」も、冒頭のチェロが一寸無雑作なくらいあっさりと開始されたのにはびっくりしたが、この曲特有の神秘的な最弱音を念入りに彫琢するなどという興味は、この指揮者にはないのかもしれない。いわゆる官能美というものにはあまり縁のない演奏で、簡明直裁と言う所以だが、しかし悪くはない。

 残るモーツァルトは、渡辺克也のソロが実にスケール大きく、強靭な力を噴出する挑戦的な演奏で、その硬質で剛直なエネルギー感には少々たじろがされたけれど、残響のないホールだから、余計にその印象が強かったのかもしれない。これはこれで、たいへん面白かった。

 ホールはほぼ満席。お客さんの反応も素晴しく温かい。ここのお客さんたちを見るたびに、新しい、良い音のホールが高崎に早く出来たらな、と思う。

    →音楽の友新年号 演奏会評

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