2020-04

11・19(土)ユベール・スダーン指揮東京交響楽団

    サントリーホール  6時

 前半にシェーンベルクのモノドラマ「期待」、後半にフォーレの「レクイエム」というプログラム。

 これは実に巧い組合せだ――女のどろどろした情念が描かれる「期待」のあとに、清純で天国的な「レクイエム」が来る。楽屋で会ったスダーンも、「どうだ、よく出来たプログラムだろう」と自画自賛。
 演奏の出来も、スダーンと東京響の最近の演奏の中ではトップに置かれるべきものであろう。

 「期待」は、シェーンベルク・シリーズの一環として演奏されたものだが、曲想から言っても先日の「浄夜」より遥かにスダーンの個性に合った作品のように思える。
 演奏も切れ味鋭く劇的で、「月が揺れている」の歌詞の背後にゆらめく幻想的な木管の動き、大詰めでめらめらと燃え上がる管弦楽の不気味な響き、「私は探したの・・・・」のあとに上昇して虚空に消えるような管弦楽の音色など、すべて緊迫感に満ちた見事な表現だった。かようにオーケストラが雄弁でなかったら、この曲は締まらないのである。

 一方、主人公の女性を歌ったサンクトペテルブルク音楽院出身のエレーナ・ネベラは、この曲を既に何度も手がけているそうで、劇的な身振りもさることながら、愛人の死体に取り縋って激しい情念を吐露する女の迫力を、凄まじく熱演して見せてくれた。

 「レクイエム」は、いわゆる第3稿――1900年版による演奏だが、弦はヴァイオリン12、ヴィオラ12、チェロ10、コントラバス8という編成が採られていた。
 ヴィオラの音色が、こんなにもラヴェルやドビュッシーと共通するフランス印象派的な色彩を感じさせるとは、やはりナマで聴くことの利点だろう。
 東響コーラスも、ソプラノパートにほんの僅かの粗さが感じられたものの美しく、東京響の演奏と併せて端正清澄な「レクイエム」を聴かせてくれた。声楽ソリストは森麻季と青山貴。

      ⇒モーストリークラシック2月号 演奏会レビュー

コメント

音楽では、元々知っていても。実演に接するのは初めて。これも、今日は仕事、休みだから。この時間始まりでも行ける。

前半、「期待」、Pブロックから聞いているので、ソプラノ歌手の表情より、音楽のパート自体が後ろ側から何をやっているのか、集中することになる。
歌唱そのものを省いても、<<背後にゆらめく幻想的な(木管の)動き>>て、どういうパートからなりたつのだろうという具合に。

六道輪廻でいったら、「期待」は、餓鬼・畜生の世界。フォーレは、人間・天上の世界。
面白そうだから、行く気になった。みなとみらいに行くか、曽根崎心中に行くか、末広亭に行くか迷った挙句、六道輪廻する選曲のこっち。

選曲の面白さからのみなら、今年の一番です。音楽は、もちろん良かった。

名のない女

東条先生
フォーレのレクイエム、いつも俗っぽさを感じてしまうへそ曲がりなのですが、ご指摘の通り昨夜のプログラム配置では、女性(or人間)の俗と聖を対置し、まるでマグダラのマリア(=「期待」の女)が昇華していくさまを見るかのようでした。
殊に、「ピエ・イエズス」を一段高いオルガン席で歌わせたのも視覚的にも効果的でした。名のない女が捜し待ち続けたのは、まさに魂の救済者だったのかと納得。別の名のない女・クンドリ(Parsifal)lではありませんが、まるで一編のオペラを見ているかのような錯覚に陥り、東響の演奏の抑制された美しさもあり、はじめてこの曲に感動できました。
もう一度、今度は簡単なステージ付で、両曲を続けて演奏してみると面白いかも?

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