2020-04

11・12(土)ロリン・マゼール指揮東京交響楽団

   テアトロ・ジーリオ・ショウワ  6時

 これは、やはりあのミューザ川崎シンフォニーホールの、響きの良い大空間で聴きたかった――とは言っても今は詮無きこと。

 しかし今夜のマーラーの第1交響曲「巨人」では、マゼールと東響が、シンフォニー・コンサート向きではないこのテアトロ・ジーリオ・ショウワのアコースティックを巧く克服していたことは確かであろう。

 編成を小さくしてプロセニウムの内側にオーケストラを配置したベートーヴェンの「第1交響曲」は、客席にそのエネルギーがあまり伝わって来ない痩せた響きであったが、後半の「巨人」は、舞台前面までいっぱいに押し出した配置が成功してか、このホールにしては珍しくオーケストラが厚みと力を以って鳴り渡るという印象になっていたのである。

 マゼールの今日の指揮は、比較的端整なスタイルだった。
 コンサートによって演奏上の表現を変え、ある日は端整になったり、別の日には激しい劇的なスタイルになったり、あるいはスコア通り整然と演奏する日があるかと思えば、ティンパニの音程に趣向を凝らしたり(4拍子の全音符のトレモロを分散和音の4分音符に分けて叩かせる、といったごとく)する日もある、という彼の指揮を、われわれはこれまで何度も体験して来たものだ。
 今日のようにアンサンブルを重視し、テンポもあまり極端に動かさず、整然と古典的なスタイルで決める指揮を採ったのは、東響が事実上初めて指揮する――48年ぶりの顔合わせともなれば、初客演指揮にも等しいだろう――オーケストラだったせいだろうか?

 ベートーヴェンはあまりに端然とし過ぎていて、私はあまり楽しめなかったが、マーラーの方は、端然とした構築の裡にも厳しい力が満々と湛えられていて、特に第2楽章以降は聴き応えがあった。
 ホルン群の咆哮を狂暴にせず正確に吹かせ、時たま大きくパウゼを採って次の主題を際立たせる。普通なら狂瀾怒涛の爆発と昂揚が展開するはずの第4楽章にも、何か抑制された音調があって、一種のクールな造型感に支配されているようであった。

 東響は、緊張していたのか、「巨人」の第1楽章では、何か妙にぎこちなさと堅苦しさが演奏に感じられた。後半は次第に調子を上げていったようだったが・・・・。いずれにせよ、今夜の東響は、いつもの東響とはだいぶ違った。

 大太鼓とティンパニの巨大なトレモロ(それもしかし、普通よりは抑制気味のものだった)の裡にマゼールが最後の2つの終了和音を振り下ろして行く時、今年初め頃から「マゼール客演」と期待していた大イヴェントが、たった1回だけでこんなにあっけなく終わってしまうのか、という感慨に襲われる。「時よ停まれ、そんなに早く過ぎ去るな」という想いである・・・・。
 そんな気持になったのは、大震災のためミューザ川崎シンフォニーホールの内部が崩壊して、一時は「創立65周年記念」のこの演奏会そのものがどうなるかと危ぶまれた過程を見て来たからかもしれない。

 ともあれ、大マゼール様、丁寧に礼儀正しく(?)客演を仕上げた、という感。
 カーテンコールでは、彼に大拍手と大歓声が飛んだ。ソロ・カーテンコールも――1回だけだが――行なわれた。川崎でだったら、演奏の印象ももう少し違ったものになっていたろうから、あと1、2回は続いていたかもしれない・・・・。

コメント

おお~、マゼール大先生、ついに登場されましたか~!「時よ停まれ」って、ファウスト博士でしたかな?!そんなこと言ってるとメフィスト来ちゃいますよ、まだまだダメダメ~!

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