2020-04

11・1(火)ユーリー・テミルカーノフ指揮
サンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団

 サントリーホール  7時

 ロッシーニの「セビリャの理髪師」序曲、メンデルスゾーンの「ヴァイオリン協奏曲」(ソロは庄司紗矢香)、ストラヴィンスキーの「春の祭典」という、硬軟取り混ぜのプログラム。

 テミルカーノフとサンクト・フィルのロッシーニを聴くのは、もしかしたらこれが初めてかもしれない。
 序奏での弦からして、弾むようなスタッカートではなく、少し長い音価を使った、粘着性のあるリズムになる。分厚く豊麗な響きで滔々と流れるシンフォニックなロッシーニだが、これはこれで一風変った面白さがある。
 通常とは少し異なる響きの個所があり、オヤと思ったが、不勉強にしてこの曲での版の違いは承知していない。テミルカーノフはパルマ王立歌劇場音楽監督を兼務しているから、そこで異版について研究する機会があったのかもしれないが。

 メンデルスゾーンも、これまたとろけるように柔らかい、ふくらみのある音と表情が印象に残る。昔のテミルカーノフとサンクト・フィルだったら、こんな穏やかな美しさは出せなかっただろう。このコンビも随分変ったな、と感慨が湧いてしまう。
 庄司紗矢香がこれまた珍しく嫋々たる音色の演奏を聴かせてくれたが、それが単なる甘美な音楽に留まることなく、繊細美麗な表情の裡にきりりと引き締まった、何か不思議に突き詰めた感情のようなものが演奏全体を貫いているところに、彼女の凄さがあるだろう。アンコールにバッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ」第2番からの「サラバンド」が弾かれたが、これも美しい緊迫感にあふれた演奏だった。

 「春の祭典」では、テミルカーノフは、テンポの振幅をあまり大きく採らないし、鮮烈なリズムで斬り込んだり煽り立てたりすることもしない。全曲をひたすら滔々と、大河の如く押し流す。鋭い切れ味の威力でなく、壮大豊麗な音の絵巻と化した「春の祭典」というべきか。
 原色的な色彩感は、豊富だ。かつてゲルギエフが「ストラヴィンスキーは、リムスキー=コルサコフ門下から生まれたロシアの作曲家だ、自分はそれを念頭において《春の祭典》を指揮する」と語っていたが、テミルカーノフの指揮にもまた、ある意味でそれに共通したものが聴かれるだろう。

 いずれにせよ、18型弦の巨大編成による強豪サンクトペテルブルク・フィルが、悠然たる力感を漲らせつつごうごうと響かせ、押して行く「春の祭典」は、やはりただならぬ物凄さといったものを感じさせないではおかない。テミルカーノフは、最小の身振りでこの大奔流を引き出す。サンクトペテルブルク・フィルを、既に完全に掌握していることを誇示しているかのようである。

 アンコールは、またもやエルガーの「ニムロッド」だった。他にないのかね、と思ってしまうが、このオケ特有の壮麗な響きで盛り上がる「ニムロッド」には、他の指揮者やオーケストラの演奏するそれとは全く違う、上等のコクのようなものがあることはたしかである。
 テミルカーノフには、ソロ・カーテンコール。これも、昔の彼の演奏会にはあまりなかったことだ。

 明後日から久しぶりにMET。僅か3日間だが、新演出「ドン・ジョヴァンニ」「ジークフリート」、再演の「サティアグラハ」「ナブッコ」を。

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